紙つぶて 細く永く

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地域から孤立した無比の文化という誤想

池上彰の記事を読んで、加藤周一「日本文化の雑種性」が似ているなと思った。

アイスホッケー女子の南北合同チームがスウェーデンと対戦したときのこと、北朝鮮の応援団とリンクを挟んで反対側に、韓国のチアリーダーたちが現れ、自由奔放なダンスを披露した。
その躍動感。これぞ自由な社会の典型だ。
彼女たちは、これを見て何を感じたのだろうか。
試合の合間に流れるポップスの数々。それに合わせて踊る若い女性たち。これも驚きだろう。試合が終わって帰路につくとき、彼女たちは度肝を抜かれるはずだ。
まばゆい光の洪水を見るからだ。
彼女たちも、来る前に朝鮮半島の地図を見ているはずだから、江陵が韓国の中では「田舎」に属することはわかっているはず。それなのに、平壌ピョンヤン)の街より明るいのだ。
首都の平壌ですら、街灯はわずかで薄暗い。まして地方に出ると、道路に街灯はない。
各地に点在する金日成像はライトアップされているが、一般の住宅は、夜の8時になると電気が来なくなる。私はそれを北朝鮮の南部の開城(ケソン)で経験した。漆黒の闇に満天の星が美しかった。
北朝鮮では、「韓国民はアメリカ帝国主義の圧政下で貧しい生活を送っている」と教え込まれている。その教えが間違っていることを、彼女たちは知ってしまったはずだ。
彼女たちに対し、監視役が「見聞きしたことは本国で口にしてはならぬ」と口止めするだろうか。
彼女たちも賢いから、口にしないだろう。いや、ひょっとすると家族には話してしまうかも。そうなると、家族そろって北朝鮮当局への不信感が芽生えるだろう。

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加藤周一は、彼のいう「西洋見物」の途中で、日本人は西洋の事を研究するよりも日本についての研究を進めるほうが学問芸術の上で生産的になる、と考えたそうだ。
そして、現在日本のいたるところに転がっている問題は西洋の文化や問題よりも却って面白いと思われるものがある、だが彼自身がその点を発展させてゆかなかったのは怠慢だと考えた。(彼は東京大学医学部出身で血液学の第一人者だった)

日本文化の雑種性(抜粋)そして日本人の立場とは何かと考えた時に、その内容は西洋の影響のない日本的なものという風に考えた。西洋の影響が技術的な面を除けば、精神の上でも文化の上でもいたって表面的な浅ぱくなものにとどまっていると考えた。
 日本でそれに似たものとなるとそこにだけは長い歴史を負った文化が形となってあらわれている京都の古い軒並みを思い出すほかない。 私が西洋見物の途中で日本人の立場を考えたときに、その内容は国民主義的であった。そしてそういう私の考えは、英仏両国に暮らしている間、英仏両国民の自国の文化に対する極端に国民主義的な態度によって、大いに刺激された。
 英国的な特色は学問芸術から服装や生活様式の末端にまで及んでいる。英国の文化は日本でのように医学は外国式で美術はまた別の外国式だが生活様式は日本流というような混雑したものでない。したがって何事も軽薄でなく長い歴史を負っていておちついたものだということである。
 西洋からの帰途日本の第一印象とでもいうべきものは、海に迫る山と水際の松林、松林のかげに見える漁村の白壁、これは西ヨーロッパとは全くちがう世界である。
 しかし他方では玄界灘から船が関門海峡に入ると右舷にあらわれる北九州の工場地帯、林立する煙突の煙と溶鉱炉の火、活動的で勤勉な国民がつくり上げたいわゆる「近代的」な日本、これはマレーとは全くちがう世界である。
 上陸した神戸の印象はマルセーユともちがうが、シンガポールともちがっていた。 外見からいえば神戸よりもシンガポールの方がマルセーユに近い。それはシンガポールが植民地だからであって、シンガポールの西洋式の街はマレー人が自分たちの必要のために自分たちで作ったものではない。
 ところが神戸では、港の桟橋も、起重機も、街の西洋式建物も風俗も、すべて日本人たちの必要を満たすために自らの手でつくったものである。西洋種の文化がいかに深く日本の根を養っているかという証拠は、その西洋種をぬきとろうとする日本主義者が一人の例外もなく極端な精神主義者であることによくあらわれている。日本精神や純日本風の文学芸術を説く人はあるが、純日本風の電車や選挙を説くことはない。 日本の伝統的文化をたたえるその当人が自分の文章を毛筆ではなくペンでかき、和綴じではなく西洋風の本にこしらえる。書斎では和服かもしれぬが外へ出るときは洋服である。日本人の日常生活にはもはやとりかえしのつかない形で西洋種の文化が入っている。
 経済の下部構造が「前近代的要素」をひきずりながらもとにかく独占資本主義の段階に達している今日、精神と文学芸術だけが純日本風に発展する可能性があると考えるのは、よほどの精神主義者でなければむずかしいだろう。日本主義者はかならず精神主義者となり、日常生活や下部構造がどうあろうと、精神はそういうものから独立に文化を生みだすと考える他ない。
 思想と文学の領域にかぎれば、戦争中の「国民精神総動員」つまり戦争を正当化するために天皇を祭りあげると同時に日本文化を祭りあげるという仕事をひきうけたのは主に京都の哲学者の一派と日本浪漫派の一派であった。西洋の哲学によって訓練された方法を使って彼らは天皇制を「近代化」したのである。国学者流のみそぎだけでは近代的な戦争イデオロギーとしては役に立たない。いわゆる「超国家主義」そのものが舶来の道具で組み立てられる他なかった。


本当に彼の国と古き「良き」日本は瓜二つのようだ。