紙つぶて 細く永く

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すっかりクラス会世代となったなあ

クラス会の仲間へ
毎年懐かしい顔ぶれが集まり懐旧談義に花が咲く、それも一種のたのしみではあると思います。
懐かしいクラス会にこそ意義があるのでしょうが、 小生「クラス会商法」(なんてものが一般的にあるのかないのか不明ですが)にいささか疑問が湧いています。


というのも、その「同期で出会う懐かしさ」を付加したクラス会と考えれば、 今回の例のように会費9000円であっても無理ながら理解しますが、 しかしよく考えれば懐かしさというメニューを取り去り実際に出てくる料理から判断すると、 かなり付加価値?をつけたものになっていると思われます。
往年は10000円が相場でしたね。

 

諸氏も居酒屋、すし店、レストラン等に行かれるのでしょうが、

例えばなにがしかの友人二人で行くとして二人で9000円かける2、合計18000円を支払うなんてことはちょっとはずんだ気が合った友人同志の会食か、甲論乙駁し互いに激高し支払いの段になって、喧嘩別れ寸前となった飲み会くらいなものではないでしょうか。

わたしの希薄な経験からして、よく出されるクラス会コースメニューの内容を、仮に個別に頼んだとすれば、 2名で10000円(一人5000円)見当でしょう?

つまりクラス会商法の店はわれわれ顧客に提供する料理ではなく各店舗の会計にとって、美味しい商売をしていると考えます。

(ここでは一般的なクラス会メニューを意味しますので、 決してレストランRのことをいっているのではありません)

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さてここからがいわば本題ですが、 われわれ団塊世代は一番世間に迷惑(注)をかけているという自覚が必要であって、残り少ない余生を未来の世代へむけ、なにがしかの貢献をしなければならないと思います。

迷惑とは今後年金制度は少なく見てもどんどん支給年齢が上昇し=生涯の受給金額が少なくなる、あるいは将来の破たんが噂されています。
 現役世代にとっては魅力ある制度ではなくなりつつあり、現役世代の働きによって維持されている年金を、もっとも人口の多いわれわれ団塊世代がいわば食い逃げになるということを指します。

 

だから広くこの日本社会を見渡して、その貢献の一助をとするならば京都のような恵まれた場所で貢献するよりも いまだに復旧・復興できないいろいろな地へ貢献することも考えなければならない方法ではないでしょうか?

われわれの少ない年金(なかには「いやおれは多いよ」という人もいるか)
のもっと利口な使い方が他にもあるのではないかと考えました。

 そこで申し訳ないのですが、 私はクラス会に参加よりも、極貧の年金をやりくりし東北や北海道へ向かいます。

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」