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紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は元のBlog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

中庸を求められる業

ジャーナリズム

報道は公器なんて市民からみれば、全くおこがましいことを誰が言い始めたのか知らないが・・

報道に中立・中庸を求めるマナーが現にある。ところが困ったことにそのあやふやな中庸は相手によって大いに変化する。
例えば1+2は常識では3である。1という論と3という論が相対立した場合中庸は1から3までの半ば2である。ところが思い切った偏向論9が現れたとすると、1+9の半ば(中庸)は、すなわち5となる。
1は変わらないが、相手が2ではなく9が現れたことにより、結果その中庸を取ろうとすると立場は2から5に変化する。現れる偏向によって中庸は変化するのである。
常識に対する思い切った偏向が現れそれに対する中庸をだすということは、結果的にその偏向におおいにつられて中庸自体が偏向する。

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そして現在その誤謬を軽視する理性が大ぴらにまかりっ通っている。
信頼する自身の座標を歪めることに、さらにいうなら、自身の座標を歪める行為に躊躇しないことに恥じを感じる知性がないのではないか。
いやそうなのであろう。悲しいかな現在の日本の知性なんてこのようなレベルなのだ。

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」

 

 

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