ビニール傘立小便政治論
町にはいまだに立小便をする漢(おとこ)がいる。
それもすぐそこに公衆トイレがあるにも関わらず。
少し物陰に入る程度の恥辱は感じるようだ。そして何事もなかったかのように雑談を始める。
その中に政治の話も少し混じる。
「ついに安倍さんも辞めたね、やっぱりみんなの心を読み間違ったんだよね」
なんてことを・・
しかし今までは、
コロナ禍で指導者も大変だ。小池さんは目立つマスクをしているね。
とか、アベノマスク届いたけど、あれのおかげでマスクの価格も下がったんだね。
なんて話をさりげなく話す。かれは町の「小さなことにも耳をかたむけます」政党の会合にもでている。
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政権を支持することについて考えると、ただ雰囲気や一時の人気だけで判断されることが多いのではないか。
そして件の漢(おとこ)のように町の会合のなかで集票組織が働き、立小便と保守の関係さえ意識せずにボスの顔をたてるよう取りまとめる。
町のジミントも同じようなものだ。曲がりなりにも自身がする行動により、それが集積され国会代議士により政権が形成されるのだ。
安倍が発した「(「安倍やめろ」と叫ぶ)こんな人たちに皆さん、私たちは負けるわけにはいかない」発言の後の選挙でも、近所のジミント議員はしれっとおかげさまで過半数を維持できました、と素知らぬ顔で語っていた。
私たちの市議会や府議会はこのような人たちのおかげで成り立っているのだ。
かれらは単眼的にものごとを判断する。
かれらは歴史をつごうのいいように解釈する。
「他国による侵略以外で、短期間にこれほどまでの変容を遂げた国は、世界史上でも類をみない」
世界史の学習もしていない頭脳で「世界史上でも類をみない」のような言葉を使う、間違いを指摘されると結局最後にしれっと訂正をする。
このような歴史修正主義(厳密には歴史改ざん主義)を裏付けもなく信奉する、そのような無教養が世にはびこっている。
半分しかない教養で政治にかかわる、市民の生活や権利に関わる政治に携わっているのだ。
そしてその選良を、「軽度の」違反も立小便でもするかの如く無批判に、支持する。
なんと罪の重いことだろう。
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多くの分野で立小便(さえする)知性が存在する。
首相との会食を共にするメディアもしかりだ。この会食ははオフレコ、すなわち元は録音禁止程度の意味だったが、今多く解釈されるのは会食で見聞きしたことは直接記事にしない、ということになっている。
その結果、会食参加記者は総理の提灯記事しか書いていない(書けない)が会食に参加しない記者が強烈な批判記事を書く。
つまり、少なくとも会食に参加し取材する意味すら失われているのだ。
だけれども総理会食は続く。
投票に行かない教養のある市民にも増して、過半数に届かない支持者と、市井の立小便支持者、知性のない地方議員、取材をしたいために、ミイラ取りになってしまう記者、等が安倍意味なし政権を支えている。
その政権への忖度によって、政権ではなく、国民に向き合い国民と契約した官僚が犠牲となった。
そのことに対して忖度の原因ともなった首相はしれっと「調査は済みました」と述べる。
彼(安倍)は学生だった当時から、未熟といわれた学習能力に本人は狡さを磨いた。
一説には指導教授は卒業の事実すら知らないらしいし、米国への語学留学はその語学が原因で断念したこともある。
祖父や父と違い不安を覚えていた人生は狡猾さに磨きをかけることで一転した。
その血筋から、既成のジミント右翼がすり寄ってきたのだ。担ぎ上げられ奢り、政権も長期となった。
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政権から転げおちた原因が何なのかは知らない。
病気が本当か、それとも攻め立てられることがいやになったのか。
あの「七面鳥顔」を敬遠するという市民もいる。
彼は最後の記者会見においても、虚言を散発した。
しかし原因はどうでもいい。彼が政権から降りることは決まった。
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視点をかえれば違った世界が見えてくる。
われわれは少なくとも二つの異なる視点でものごとを考えなければならない。もちろんそれは二つより三つ、多いほど知識は確かになる。
昨今多様性が謳われるのも同じ原理からだ。
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「小さなことにも耳をかたむけます」政党の会合にもでている件の漢(おとこ)氏は、立小便の帰り道、ビニール傘をまとめて置いているご近所の家の軒先から、破れていないころ合いの傘を一本黙って持ち帰った。
「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋
REMEMBER3.11