大切なのは中身であり、外見じゃないというのは間違いだ
外見は中身の表れだ。(天野祐吉)
と私も思う。
組織体というものは、部分からなる構成という「避けられない現実」があり、
対外的な広報活動他のいわゆる情報発信、あるいはその構成員のふるまいにより
組織体として考える善悪・価値観・性格が体現される。
つまり、表にでるその種情報や、代表され(目の前に現れ)る個人
のふるまいからその組織体の価値あるいは組織体の正体に近いもの
が推定できる、というわけである。
価値ある組織では下記のような例が散見されることはありえないだろう。
*見るに耐えないCM作品
繰り返し社名を唱える、「某県不動産CM」や、
安っぽいキャラクターでのWeb帳簿を売り物にする「某会計システム」
(資生堂やsuntory、Panasonicでは考えられない)
*電話をオフラインにし顧客を罵る営業マンのいる販売会社
*満員のバスで胡坐をかく修学旅行の一団
著名研究所で以下のような扱いを受けた経験がある。
「今トップ(=ボス)との面談ですので・・・」とのみ告げ去ってゆく
すみません、の一言すらなし。
内部的な面談作業で外部からの訪問者を待たせるのは、やはり問題のある企業組織
に見られることで、その場合であっても、中でも比較的手の空いたものが忙しい旨を告げ
わびるのがマナーである。
他には
ある商品についての問合せを受け、詳細は後日連絡します、と告げているのに
送ったメールへの返事がなく、数本送ると「忙しくて読めないから送りつけるな」
といきなり且つわざわざ電話でなじる担当者
フン!誰が売ってやるものか、と内心思いながら、その担当者の貧しい心対抗し、こうして
公表することで溜飲を下げる私でした。
著名な研究所は、著名であるがゆえにそれなりの驕りを持たざるを得ないのか?
多くの企業からチヤホヤされると人間とりわけ弱い部類の人間というものは
驕りをもつものかもしれない。
組織全体の評価が自分個人の評価に反映されると勘違いしているのである。
ちなみに有名(きわだってみじめな 「悪魔の辞典」より)