紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

戦後史の中の丸山真男2

丸山に典型的とされるいわゆる「近代合理主義」は、戦後五十年の初期には「左」から、後期には「右」から批判されてきた。
(参照 
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/shohyo21.html
一般的にいえば、批判者に共通な傾向は、一方では「近代合理主義」を「西洋」に結びつける考え方であり、他方では「合理主義」の明瞭な定義を欠くことである。
丸山の立場を「西洋的」とするのは、思想の発生した地域とそれが妥当とする範囲を混同した結果にすぎない。この種の混同がくり返されるのは、人文科学者や社会科学者に固有の現象で自然科学者にはない。
 京都を愛した湯川秀樹は、量子力学コペンハーゲンで発生したか京都で発生したかということを、格別心配してはいなかった。
「合理主義」を認識論的に理解すれば、経験主義に対立する。丸山真男自身は認識論には立ち入らなかったが、強いていえば、その学問の方法は経験主義的であって合理主義ではない。
「合理主義」を論理学的に解釈すれば、推論の型式の合理性ということになろう。それならば「合理主義」は学問の前提であって、むろん「近代」の特徴ではなく(アリストテレス論理学)、非「合理主義」的な学問というものはない。世にいわゆる反「合理主義」なるものは、要するに「理屈っぽいことは嫌いだ」という程度の気分的流行にすぎないだろう。
Photo 興味深いのは「左」からの批判が「右」からの批判に移ったということである。それは丸山真男の政治的立場が変わったからではなく、五十年間に日本の政治的雰囲気がとめどもなく右傾化(または保守化)したからである。そこには何が欠けていたか、いや、今も欠けているか。
近代的個人、主体的な個人において内面化された合理的思考ではなかろうか。
(96・9・19)
-加藤周一[夕陽妄語第二集輯]-