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司馬史観

日本の会社員が、東京や大阪の通勤電車のなかで、あるいはニューヨークやデュッセルドルフに在勤して仕事の余暇に、どういう本を読んでいるだろうか。それはおそらく現代日本の小説でもなく、またたとえば
「岩波講座 日本歴史」というような歴史家の著作でもないだろう。
そのどちらよりもはるかに多く「歴史小説」殊に司馬遼太郎の作品であるにちがいない。
何十万の、または何百万の読者が「歴史小説」を読む、ということが、かくして10年以上もつづいてきている。

司馬遼太郎の史観は天才主義である。
数人の天才たちが、対立し、協力しながら、廻天の事業を行う。たとえば明治維新であり、日露戦争である。
その長い「歴史小説」の中には、「百世に一人、出るか出ぬかという天才」が数人あらわれる。
たとえば「竜馬が行く」(1962-66年)では土佐の坂本竜馬、長州の桂、薩摩の大久保、西郷の決断と行動が、明治維新を作り出したかのような印象を与える。
また、たとえば「殉死」(1967年)によると、旅順港の要塞を陥したのは、日本側の二人の英雄、「天才的戦術家」児玉源太郎と「天才的な技術将校」有坂成章である。
坂の上の雲」(1968-72年)によれば、天才児玉源太郎は旅順攻略どころではなく、ほとんど日露戦争を始めたのであり(「司馬遼太郎全集」26巻、266頁)日露戦争を終わらせたのである。(「全集」26巻、262および268頁)
日本海海戦の大勝利が、主人公秋山真之東郷平八郎の天才によることはいうまでもない。

このような天才たちは、政治的支配層の力関係の中で動き、国際情勢に反応し、技術的進歩に敏感である。
しかしそこには、民衆が演じた役割と、経済的な要因がもったであろう意味は、ほとんど描かれず、ほとんど分析されない。
もちろんまったく描かれていないというのではなく、農民も、宿屋の娘も、戦勝に酔う不特定多数の大衆もでるし、大名の経済的な困難や、明治政府の戦費の不足も言及される。
しかしそれは、天才的な主人公の「性格」を描き出すための、補助的な手段であり、背景であるにすぎない。
明治維新は農民とまったく関係がなく、日露戦争は日本資本主義の発展の型と、少しもかわらないかのようにみえる。
維新前夜の狂信的な攘夷思想が、「維新の指導的志士にはねのけられ」、「昭和になって無智な軍人の頭脳の中で息をふきかえし」たから、30年代の軍国主義がおこり、中国侵略と太平洋戦争がおこった(「全集」3巻、531頁)というのが、司馬遼太郎氏の考えである。

いや、それはおかしい。日本軍国主義は「無智な軍人」だけの力でおこったのではなく、政治家・官僚・財界の支持があり、殊に大衆の支持があったから成立したのである。狂信的な攘夷思想が「維新の指導的な志士」によって大衆の中から一掃されていたら、30年代の悲劇もなかったろう。「明治が大正、昭和をうみだした母胎である」(「1930年代論-歴史と民衆」92頁)というのが、菊池昌典氏の意見である。

私は菊池氏の立場に賛成する。そして「明治はよかったが、それ以後がよくない。その理由は指導者のちがいである」という説に反対する。司馬氏はもちろんまちがってはいない。たしかに明治の指導者たちは、30年代の軍人よりも聡明であり、現実的であったろう。しかしそのことを説明するのに「天才」という以外に、その理由を分析し、叙述する方法があるだろうと考える。つまるところ「民衆」を歴史にひき入れ、社会の政治経済的活動と、その発展の型を分析することに、つながってくるのである。

しかし司馬史観の分析は活き活きとした面白さと、つまるところ何十万、何百万の読者が、なぜその小説を読みつづけてきたのか、という理由を、ほとんど説明しない。いったいどこが面白いのか。
第一、その主人公は、腕力とか武術という点で英雄的な人物ではなくて、その見透しの正確さ、視野の広さ、策の緻密さなどにおいてすぐれた知的天才である。
彼はその天才をあたえられた社会の支配構造の内部で発揮する。しかしそれにもかかわらず、またむしろそれ故に、その言動が社会の惰性や制度や常識の外にはみ出す。
第二、細部が実に詳しく調査され、丁寧に説明されていて、人物や状況の発展、話の本筋から離れても、そのこと自体が大変面白い。かくして、一般の歴史の書物からは得られない多くの情報が提供される。
第三、司馬氏の文章は簡潔明瞭で、活動的な情景を描き出すのに優れる。
第四、一種の「ナショナリズム」。日本国に天才が多かったという話、日本人が近代化に成功し、「自衛戦争に」大勝したという話は、日本人の読者として、何度聞いても不愉快ではないだろう。
第五、実践的教訓。殊に、勝負する男の統率力、情勢判断、策略、決断、実行力などの詳細な叙述は、司馬氏に独特なものである。
たとえば、バルチック艦隊の撃滅。その状況はあらゆる困難にみちている。たとえば、艦隊がどこを通るかわからぬ事情。
そこでどうするか。それはほとんど「ゲーム」の課題ににている。
しかし、大抵の小説はそういうことに全く触れない。そうではなくて、夫婦げんかや三角関係や「おれはいったい誰だろう」式の反省を詳しく描くのである。

しかし、一般市民の、たとえば会社員や技術者の人生は、ただ夫婦げんかと三角関係と哲学的反省から成るものではない。
そういうことは会社の仕事が終わったあとで、家庭や飲み屋で、やっとはじまるものに過ぎない。
すなわち、恋愛と反省は夕方の話である。昼間は誰でもそれぞれの知力をふりしぼって小さな「ゲーム」を戦っている。
かくして、世にいわゆる芸術的現代小説は、ほとんど例外なく夕方小説である。ひとり司馬遼太郎歴史小説が昼間小説だということになろう。
あれは「娯楽小説」だというのはまったく正しくない。司馬氏の昼間小説こそほとんど唯一の非娯楽小説といえるかもしれない。
司馬流歴史小説の魅力はこのようなものである。そこで問題は一つしかない、と私は思う。
すなわちそれが歴史の代用品にはならぬということである。この小説が提供する歴史の解釈、歴史的事件の全体像は、われわれがわれわれ自身の社会的現実と歴史的立場を発見するのには役立たないだろう。
-(「司馬遼太郎小論」加藤周一)-