1)ここからはきものをぬいではいりなさい
2)きみはしらないのですか
3)かれは会社にはいらない
4)ツマデキタカネオクレ
5)七と三の二倍はいくらですか
*
1)では「ここから、はきものを」と読点を打つか、
「ここからは、きものを」
でほどこすかで、ずいぶん意味がちがってくる。
2)でも読点の場所によって「きみ、走らないのですか」、
「きみは知らないのですか」
の、二通りの意味になる。
3)は、彼が、「会社に、入らない」のか、「会社には、要らない」のか
は、 読点次第である。
4)の電文を受け取った父親は、息子に「妻、できた」のか
「津まで、来た」から金がいるのか、すぐには判然とせず首をひね
らざるを得ないだろう。
5)は、「七と、三の二倍」なら答えは十三、「七と三の、二倍」であれ
ば 二十だ。
読点の移動によって文意がまるでちがってくるこの仕掛、これが
わたしたちをうっとりさせ、よろこばせる。(略)
むろん句読点はただおもしろいだけではない。ときには大変な働きをする。
たとえば、狭山事件の石川一雄被告が送ったという脅迫状を、大野
晋は次のように読む。
・・・また、脅迫状の筆者が、高い文字技能を持っていたことは、
脅迫状における句読点の打ち方によく現れている。句読点を正しく
打つことはかなり正確な文章技能を持ってはじめて可能なことなの
である。ところが、脅迫状には13個の句読点が打ってある。
脅迫状は10個のセンテンスから成っているが、そのうち9個の
センテンスに句点が正しく打ってあり、1個だけに句点がない。
読点が他に4つある。
ところが、被告人の上申書には、ただ一つ句点があり、それも誤って
付けられていることは 前述した。また、警察官の前で書写させられ
た7月2日の『写し』には句読点は全然ない。
これは被告人が脅迫状の句読点について認識が及ばなかった結
果であり、被告人は句読点を打つ技術を持たなかったのであって、
これは脅迫状の筆者と、被告人との書字技能のい格段の相違を明
示する事実である。
(「脅迫状は被告人が書いたものではない」、
『朝日ジャーナル』昭和52年2月6日号)
井上やすし「私家版 日本語文法」から