紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

御巣鷹山鎮魂

御巣鷹山日航ジャンボ機墜落から25年 ご冥福をお祈りします。
当時の報道では、管制官のスクリーンでは機影の消息がつかめずに夜6時56分
墜落確認から、からしばらくは場所を特定できなかったときく。
救援隊到着が数時間早ければより多くの命が助かったのは紛れもない事実
その教訓が生かされているのだろうか。
本年2010年8月10日の朝日新聞記事によれば管制室のレーダーに機影が映っ
ていたと記されている。事故調査委員会の調査実力不足か?

以下はWikipedia(以下URL)から

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA
123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

19時21分までに、米軍と自衛隊機が大規模な山火事を発見、位置を通報。
19時半を過ぎても依然としてレーダーに123便の機影は写らず、どの空港
や基地にも123便が着陸したとの情報もなかった。たとえ低空飛行を続け
ていたとしても燃料が払底する頃と推測されたことから、墜落と考えざる
を得ず、各機関は捜索準備に取りかかる。
レーダー消失地点などから捜索エリアは群馬県と長野県の県境付近と設定
された。当時のヘリコプターの装備・仕様では、夜間における接近は困難
であったため、地上からの救出に全力を注ぐこととなった。
レスキュー隊が墜落現場に向けて動き出したのはあくる13日午前4時前だっ
た。大半は徒歩で現場まで向かい、付近は険しい地形だったため、墜落現場
に到着したのは事故から14時間ほど経った13日午前8時半であった。
また、123便が輸送していた医療用放射性同位体や、一部動翼のマスバランス
に使われていた劣化ウランなどによる周辺への放射能汚染の警戒も、到着が
遅れた一因となった。各機関は、いたずらや誤報に惑わされ、連携が充分に
とれずにいた。

このため、現場に一番早く到着したのは、土地鑑を有し、山ですべりにくい
地下足袋をはき、日の出とともに登った地元の消防団であった。

当時の東京消防庁航空隊には強力なサーチライトを搭載したアエロスパシアル
製ヘリコプターが2機配備されており、事故当夜は関係省庁からの要請に備え、
いつでも出動できるように待機していたが、東京消防庁に出動要請は来なかった。
のちに運輸省・警察庁・防衛庁ともに、この東京消防庁所有の高性能ヘリコ
プターの存在を知らなかったことが明らかになった。東京消防庁も自ら出動
を申し出なかった受身の状態だったこともあり、緊急時における縦割り行政
の救難体制の問題点が浮き彫りになった。