京都市の言い分:景観政策担当者
以下に都市景観部長発言の引用とそれに対する私の考えを
「京都市都市景観部長 山本一博氏(54)」
京都大の立て看板を巡って、市民の景観への関心が高まり議論が起こっているのは悪いことではない。
市の政策とも関連するので行方を注視している。
まずは軽いジャブを打っている。(少し恐れをなしている感も)
景観は、誰かが押しつけるものではなく、地域で暮らしている人たちを抜きにして語れない。
その通りだと思う。まさしく京都市の一括かつ表面的な指定方法ではなく地域住民が個別に考えるべきだ。
どんな景観がいいのか、話し合いが活性化するのは望ましい。
これが本音なら京都大学との協議時にもきちんと議論の活性化を求めるべきだった。
その活性化する議論の申し入れをしていたなら、いくら「権力に弱い京大」といえども学生側との、活性化した議論を行ったはずだ。
屋外広告物条例など現在の景観施策は思い切った面もあるが、表現の自由を制限するつもりは全くない。
ここは詭弁だ。現に結果的に表現の自由を規制している。
ただ営利目的かどうかを問わず、倒れる危険性や大きさといった面で立て看板を一定規制する必要がある。
体面を作ろうとして墓穴に入る感もあるが上記論拠には虚偽が混じっている。
私は5年間ほぼ毎日、京都大学構内北の農学部グラウンドから南部総合研究1号館までを業務で歩いた経験がある。
もちろん至るところにタテカンが並んでいた。
しかし危険と思えるタテカンはその5年間で1基、風にあおられ倒れた、ものだけだった。ほとんど危険なものは無いに等しい。
周辺市民が危険といっているという理由は後付けの理由で、全く事実にあっていない。一部市民からの指摘が実際にあったとすればそれは、駐車違反車両の通報と同じく趣味でする範疇を超えないし、かつ百歩譲っても、危険なものは撤去しますで事足りる。
看板に書かれている内容は関係ない。規制が大学における表現の自由を脅かすという指摘は全く当たらない。
役人の業界には、朝ごはん論法というものがあるそうだ。
今治市や愛媛県の人と会いませんでしたか?、いいえ会っていません。
あの論法だ。
「朝ごはん食べた?」ときかれ「朝ごはんは食べていない」とこたえる。
普通の教養ある常識市民なら、「あ、このひとはあさ何も食べていないのだ」と解釈するが、常識外れた官僚は、ごはんを食べていないということで、パンやうどん、そばを食べていても、「朝ごはんはたべていない」と返事する反常識がある。
この都市景観部長は多分、実際にタテカンを見ている。そして中身に触れることはタブーと考えたに違いない。
職名からして、景観への知識や配慮は相当なものだと思うが、欠落しているところもまま見受けられる。
京都市の条例にはいわば逃げもうってある。
上記は1965年ころの京都大学百万遍門近くの画像。市電の線路がカーブした東大路に入っている。
そして石垣にタテカンがもたれかかっている。吉田キャンパス 本部構内 — 京都大学
現在、京都大学の上記HPに掲載されている。(いつ外れるか・・?)
もちろんこのころ以前からタテカンはあったはずだ。
もう一つおまけ
これが伝統だ、慣例だ。
京都市景観政策:その哲学
京都タワーはどうだ、
嵐山の屋台はどうだ、
平安神宮から見た青蓮院別院将軍塚青龍殿はどうだ。
*
行政の中で取り組む課題は多くあるのだが、政策の実行にはその哲学を持たないと支離滅裂、場当たり的な行政となってしまう。
京都市という世界でもまれな木造文化都市の景観を考えるに凡庸な頭脳では敵わないのではないか。
上記は京都市の他部署が進める場当たり的政策だが、悲しいかな政策が泣いている。
REMEMBER3.11