結果としての教育
高等教育の意義を問われる事件が続いて起こる。
大学とはなにか?
そもそもの大学としての存在意義自体を「建学の理念」等で、謳っているところが多い。ちょっと拝見
加計学園:詭弁を育むことが本学の目的ではない
当然最初に気に係るところはここ不正に開設された「加計学園・岡山理科大学・獣医学部」、
建学の理念にある、「ひとりひとりの、若人が」、「 技術者として、社会人として」
若人に期待し、最初に「技術者を養成」と技術系の学生を育てることを主眼としている。
言葉ではなく技術がメインです。
理事長は他大学文系学部出身なのでまず置くとして、決して官僚を弄びその政策を左右するような詭弁家を育てることは本学の教育目的ではない。
でも、「コアカリキュラムに加えて、独自のアドバンスト教育を行い、ニーズが高まっている分野」なんて言葉使い、学生に理解しにくく、ほわっと伝える横文字憎いね。
詭弁技術への第一歩が窺えるし、その萌芽が職員や教授を中心にあちこちに育っている。
詭弁でも千両箱を獲得したらこっちのものだという意気はすごい。
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京都大学:ノーベル賞よりも地域との調和を第一に
続いてタテカン問題で自由の学風が揺れる京都大学
京都帝国大学としての当時から、東京帝国大学と比べ、学生の人格を認め、個性を尊び、真理愛好の精神を涵養せんとの深き意から「自由の学風」は追及されていた。
(その当時から東大を引き合いに出すと、決裁は通りやすかった・・)
しかし、毎年の運営費も削減され、21世紀にふさわしいものとして人類共同体との関係を視野において自由を捉えるべきであるという意見もあり、 かつ内閣官房からも、官僚には多々忖度を求められるという世情も鑑み、「責任ある自由」などが代案として考えられていた。
自由は、人類共同体との関係を視野においた自由、と指摘していたが、最終的に それが、「京都大学は、開かれた大学として、日本および地域の社会との連携を強めるとともに、自由と調和に基づく知を社会に伝える」とまとめられた。
「人類共同体との関係を視野において自由」から
「日本および地域の社会との連携を強めるとともに、自由と調和に基づく知を社会に伝える」
と小さくまとめられた。
言葉の上からも、「人類共同体と自由」という発展的な自由から「自由と調和」と制限された自由と定義された。
ノーベル賞に輝く、iPS細胞の山中伸弥教授は神戸大学医学部出身である。
そして横断歩道が赤信号でも車が来なけりゃ渡る、と無意味な束縛を嫌う。
神戸大学の理念にも「真摯」「自由」「協同」と自由が含まれる。京大は自由の本家を他校に譲る策略を練っているのかも。
今後京都大学はノーベル賞よりも地域との調和を優先して求める方針です。
どうもお金と、忖度には弱いんです。
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日本大学:武闘系命です。
そしてフットボール問題から大学の組織体質自体が問題になる日本大学
(注)日大の「目的及び指名」には「憲章にしたがい」とあり、「憲章」には「目的及び使命を理解し」とある。
「道統をたつとび」、なんて誰も理解できない言葉をつかい、かつ「目的」と「憲章」のいたちごっこで、螺旋状に思考が奈落に低迷するよう、また言葉の判断に苦しむ内に、形勢を優位に持ち込むなんてことは考えていない(ですよ)。
要するに大学としては思考は求めない、体育がメインです。
歴史が物語っています。 日大闘争年表
こちらは忖度なんて、ないです。まず字が読めません。(あこれは学習院大だったか)
純粋な武闘系です。
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高等教育の意義
それぞれ立派な理念を掲げてある。
これらの大学に入るのは高校を卒業した18才の生徒。それから見つめ直すと、加計学園以外の大学理念は立派すぎて難しすぎるのでは・・
(中学・高校は「生徒」、高等教育で「学生」)
学生というよりも社会にたいして宣言しているのかな。
社会の中での大学存在意義をうたっているのだろう。
各校立派な理念で結構なこと。しかし理念に終わって、教育研究に生かされなければ絵にかいた餅だ。
近年では7割以上が高等教育へ進む。
社会人として高等教育までの過程で何を学ぶか、大学として何を教えられるのかが問われる。
REMEMBER3.11