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タテカンと京都の景観

議論となった京都タワー

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人工的な建造物だけでなにもない左右対称の景色
八木晃介花園大学名誉教授美術評論家の故・針生一郎和光大学教授が「ビラや落書きも都市の美観を構成する」と説明、パリの公共建造物の壁などには何世代にもわたるビラが貼られ、落書きがなされ、ユトリロ佐伯祐三などの画家はそれらを“都市の美”として認識して作品にも反映させた。
百万遍交差点を中心にした京大周辺のタテカンは、筆者の観点からすれば、“大学の街・学生の街”京都を象徴的に表現する都市景観だと思われ、個人的には常々好ましく眺めてきました。
逆に、京都市が景観上ほとんど問題にしないJR京都駅前の京都タワービル(1964年開業)や、京都市の南北を分断するある種牢獄(ろうごく)的な外見のJR京都駅ビル(97年開業)の方が景観としてはるかにグロテスクであると感じてきました。

 

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美観とは何かという問題は今回の「タテカン問題」の論点から少し外れる。

タテカンはあくまでも表現の自由の問題だ。

しかし、百歩譲り京都市のいう美観からという立場から調べると、どうやら京都市京都タワーを焦点に景観政策を考えているのではないかと思える。

京都の玄関、京都駅前にそびえる京都タワーがある場所は、元京都中央郵便局の跡地で、1958(昭和33)年、京都商工会議所主催による懇談会で跡地の利用が検討された。
その懇談会の結論として、応募もあった民間会社ではなく商工会議所として新会社を設立して、現地に京都の表玄関としてふさわしい文化・観光センターを建設・運営するのが最適であるとされた。
そして2年後には建設準備委員会が設立され、その後株式会社京都産業観光センター(注1)として発足、いよいよビル建設に着手することとなった。
京都タワー設計者は日本武道館など多くの公共建築を手がけた山田守氏の設計によるもの。
タワーの設計コンセプトは、京都市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたというものだった。
当時のビルディングは高さ31mという建築制限があり、センタービルも制限いっぱいの9階建て31mで設計された。
その途中で横浜のマリンタワーのようなタワーが出来ないかということになり、京都大学工学部教授・棚橋諒氏が設計検証し、「ビル屋上にタワーを載せることは技術的に可能」との見解が出ると、屋上工作物という名目で高さ100m・重量800tのタワーの設置が決定した。
塔本体は厚さ12-22mmの特殊鋼の円筒を溶接でつなぎ合わせてできており、骨組みは存在ない。
タワーはこれまでにも、瞬間風速50m/秒を超えるいくつかの台風を経験し、また阪神大震災では震度5強の激しい地震動を受け、大きく揺れたものの、損害は無かった。そうして、東海道新幹線開通とほぼタイミングを同じく1964(昭和39)年12月にオープン。
しかし、建設当初から高層建築には反対運動があり、京都ノートルダム女子大学の講師だったジャン・ピエール・オシコルヌ氏は「古いたたずまいの京都の雰囲気を壊すのは許せない」として、当時の高山義三・京都市長に抗議の書簡を送った。
これを契機として、京都タワー建設反対論が新聞や雑誌をにぎわ した。反対の署名活動や抗議集会なども開かれた。
 しかし、反対論ばかりではなかった。評論家でNHK評議員井上吉次郎は6月20日付「毎日新聞」で、それまでの駅とその周辺の場末風の景観にふれ、次のように論評した。
「むやみに古都に新しく生まれるものに反対しては都市は栄えない。古都といっても、平安人の墓場ではなく、今日から将来にかけて京都人が生きる生活の場なのである」
 7月12日付「京都新聞」には、岡際基督教大 学名誉総長・鴻浅八郎の論評が掲載された。
「京都駅前はもっと近代化されるべきである。要するに、このタワーはやがて内外の観光客や市民に、京都とその周辺の全貌を展望し大観して、真に京都の自然の美しさと、現存する文化財の豊富さを再認識させる近代的観光施設として、是認せられるであろうことを私は予感する」
このようして反対意見を押しのけて工事は進めらた。
結果京都に相応しいかという議論を巻き起こした建物が50年以上もの間、京都駅前に構えている。
(注1 現在は京阪電車による100%子会社京阪ホテルズ&リゾーツ株式会社)

 

都ホテル問題

1988(昭和63)年、京都市は総合設計制度というものを導入し、公開空地等を確保することで、高さ制限や容積率の緩和が可能とした。これを利用して高さ60mの京都ホテル改築が行われ1994年に完成、ついで1997年高さ59.8mの京都駅が完成した。

「京都の景観・街づくり史」

この「京都ホテル」60m改築案についても、京都仏教会を巻き込むなど京都を上げての大論争となった。

しかし、この総合設計制度はその後2007年9月1日の京都市景観計画の変更(高度地区計画書の変更)により廃止された。 京都市:総合設計制度の概要

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その結果「これまで総合設計制度の許可により高度地区の制限が適用除外とされており,改正後の高度地区の制限に適合しない建築物については,高度地区の制限上は既存不適格建築物(注2)となります」
つまり、京都タワーや京都ホテルオークラは既存不適格建築物となった。

京都駅地区については特例として、申請があれば高さ制限について検討する地区となっている。

京都市内は建物の高さは最高31mに制限されている。

したがって、現在京都タワーのような高層建造物は建てられない。
ちなみに既存の京都タワーも大幅な構造改築や、色の変更は京都市市街地景観整備条例によって再審査される。

注2 将来建て替えの時には、今の京都市景観計画により、低くしなくてはならない建築物

今の京都市景観計画では認められない建築物だ。

京都市における景観問題

京都の景観制度 立命館大学 山崎正史教授京都で最初に風致地区が指定されたのは昭和5年(1928年)でした。
昭和5年から戦後に都市計画が市に移管されるまでの間は府で運用していました。 その間は、 ヨーロッパに似た裁量に基づく規制が厳しく行われていました。
平安神宮の横に4階建ての病院が計画されましたが、 平安神宮の中から4階部分が見えてしまうため許可しなかったそうです。
また、 嵐山の方では建物を建てること自体も禁止していたそうです。
しかし、 都市計画が市に移管されてからは、 国が出した風致地区の標準条例を基に京都市も条例をつくったため、 随分規制が緩くなりました。
景観の調和やデザイン的調和を図ることと、 傑作をつくること、 優れた景観や建築物をつくることは別問題で、両立するはずだし両立すべきなのですが、そう考える人は少なかったのです。
私は日本の景観問題を社会的混乱と呼んでいます。
 これまでデザインの問題で景観問題になったことは皆無に近いと思います。
京都タワーや京都駅、 巨大マンションなどの問題は、 建物自体のデザインの問題ではなく、
「この場所に、 この大きさの、 この用途の建物が」ということが問題なのです。 つまり、 それは景観問題ではなく都市計画問題なのだと思います。
しかし、 一般市民はおかしいと感じた時、 都市計画制度を知らないため都市計画問題とは言わずに、 目に見えた環境として捉え景観問題と言うのです。

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 現在の京都の景観は以前の制度の結果だと思います。 巨大工作物規制区域(注3)は京都タワー建設の際、 京都タワーは建築物ではなく工作物だからという理由で建てられてしまったため、 今後あのような工作物ができないようにということで、 京都市が工作物に対して導入した50mの高さ規制の区域です。

町並み景観とまちづくりを京都で考える より

注3 現在2005年の景観法制定を受けて建造物修景地区・沿道景観形成地区となる。

嵐山の美観

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上記図にある嵐山の屋台は京都府の管轄で、京都土木事務所によると1代かぎりの設置許可がでているので今のところ対応策はない。

しかし、このエリアは京都市風致地区第二種地域で建物については

京都市風致地区条例 第七条(48) 中ノ島特別修景地域
中ノ島では、伝統的な数寄屋様式の茶店などの景観を保全するため、建築物は、日本瓦ぶき又は銅板ぶきの数寄屋風外観であり、原則とし て河川に対し軒側(平側)を配置すること。
(49) 渡月橋北東及び南側特別修景地域
渡月橋北東及び南側では、嵐山の緑に囲まれた桂川の河川景観との調和を図るため、建築物は、原則として日本瓦ぶき又は銅板ぶきの和風外観であること。

上記のような規制がかかっている地域でもある。

なぜ放置されているのだろうか・・

違反広告物対策の強化 建築物や工作物に定着している違反屋外広告物への対応については、
京都市として違反状況を知った時点で、所有者等の表示者に対して、適法なものにしていただ くよう行政指導しています
しかしながら、この行政指導に従っていただけない悪質な違反者に対しては、行政処分、公表などのほか、行政代執行や刑事告発も辞さない強い措置を採ることもあります。

苦渋の行政

いわば京都タワーという汚点を抱きながら、京都は景観問題に飲み込まれている。

京都タワーは「京都駅前はもっと近代化されるべきである。要するに、このタワーはやがて内外の観光客や市民に、京都とその周辺の全貌を展望し大観して、近代的観光施設として、是認せられるであろうことを私は予感する」

建物として存在している。

近年の外国からあるいは国内他府県からの観光客も駅前の巨大な建物を背景に写真にとりながら京都市内へと吸い込まれて行く。

京都市民は、巨大工作物としての京都タワーを先頭とする既存不適格建築物と引き換えに何かを失ってしまったのだ。

2000年の京都:加藤周一「京都千年、または二分法の体系について」より抽出現在の京都では、コンクリートの建物で独自性のあるものはほとんど何もない。二流の模造品に過ぎない。
1955年ヨーロッパから帰ってきたとき文化的な拠って立つ立場はどこかと確かめたら、それは東京ではなく京都にしかなかった。
京都の自然、東山や嵯峨野の竹林、庭の苔や石、木立、そして町も残っていた。
ヨーロッパでは木造建築は非常に少ない。戦争の後ヨーロッパで木造建築が残っているのは小さな町だけ。1950年代に、木造建築によるこれだけの大都会が残っていたのは京都だけ、京都の町並みは世界で唯一のものです。
それはただ規模が大きいというだけでなく、形や色が独特です。空間的構造、形、表面の壁とか木の柱の表面の色とテクスチュア、などの全体の美的な洗練これはもう最高です。
ヨーロッパの木造建築でそれに匹敵するものはただの一つもない。
その京都でどういうものを発見したか、金儲けに熱心な人が全力をあげて「京都」をぶち壊ためにあらゆる政治・経済活動を活発に行っている。


京都市はそれを目の前にし、おそまきながら必死になって過去を取り戻そうとしている。

その中でなりふり構わず「京大のタテカン」にも手を染めたのだ。

REMEMBER3.11