母校の同窓会が開かれることになりその歴史を調べようと思った。
しかし調べ始めると、京都というところは教育史的に見て日本全国でも大いなる存在となっていることが改めて分かった。(一部新しく判明したところ修正)
特に小学区制・総合制・男女教学という「高校三原則」を巡っては教育学的にも大変研究されているのだが、その評価を巡っては様々な意見がある。多くの府県が賛同し取り入れたが、結果巧く機能しないところが多く最後まで京都に残った。
そして行政文書を紐解くと、かねてから一般に解釈されている、京都府教育委員会は蜷川府政による「西の文部省」という評価が一面的には決めつけられないという気がしてきた。
それでも京都では先進的に高校通学区の「小学区制」が長い間堅持されてきた。
これはその小学区制を起点にして、進学との関係からながめてみる京都の公立高校の歴史的な流れである。
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1945年の敗戦を受けて旧制中学校が廃止され、新制高等学校が発足した。
京都府では高校の正式名称は全部高校ではなく「高等学校」となる。しかし以下では略して「高校」とする。
1948(昭和23)年に下記学校が廃止された。
同時に下記学校が新設された。
その後1949年までの1年ほどの間相当な混乱がおき、各校の分割あるいは統合や学校移転が行われた後に、1949(昭和24)年3月に京都府教育委員会から次のような文書が発表された。
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上記文章では、京都市内については、西京高等学校と鴨沂高等学校が検査会場となっている。
1949年当時京都市区域の高等学校は、鴨沂高校・山城高校・朱雀高校・桃山高校・堀川高校・西京高校・日吉ヶ丘高校・洛陽高校・伏見高校・桂高校の10校となっていた。また(このころにはこの10校に普通科が置かれていた)その普通科通学区は小学区制(居住地から通える公立高校は1校)でそのエリアは以下の図になる。
1948年4月に現在の左京区久多・花脊・大原・鞍馬地区等が京都市に編入された。間に合わなかったのか通学区にこれらの地区は掲載されていない。また右京区北部(旧京北町)は2005年の編入となる。
各校通学区を拡大すると。
主なエリアは現在の左京区南部と上京区の春日校区、北区上賀茂校区
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主なエリアは北区全般と右京区御室、宇多野、飛地は水尾地区
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1949年度朱雀高校(住所:中京区西ノ京式部町)の通学区
主なエリアは上京区と北区一部、中京区の一部
1949年度堀川高校(住所:中京区堀川錦小路上ル)の通学区
主なエリアは中京区から下京区
1949年度日吉ヶ丘高校(住所:東山区今熊野日吉町)の通学区
1949年度洛陽高校(住所:下京区唐橋大宮尻町)の通学区
主なエリアは下京区から南区全般
1949年度桂高校(住所:右京区川嶋三重町)の通学区
主なエリアは現在の西京区南部
1949年度伏見高校(住所:伏見区深草鈴塚町)の通学区
1949年度桃山高校(住所:伏見区桃山町毛利長門)城南高校の通学区
主なエリアは伏見区全般 旧久世郡となる一部(緑色)は城南高等学校通学区
羽束師(村)久我(村)1950(昭和25)年編入、淀(町)1957(昭和32)年編入、この区域は編入されるまで京都市外で城南高校が通学区。
注)現時点で1949年度醍醐地区の通学区は不明(近くであれば桃山高校か日吉ヶ丘高校)
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また京都府下についても下記通学区が決められていた。
高等学校通学区 | 城南高等学校 | 宇治郡、久世郡、綴喜郡 |
木津高等学校 | 相楽郡 | |
亀岡高等学校 | 南桑田郡 | |
北桑田高等学校 | 北桑田郡 | |
園部高等学校 | 船井郡、東梅本村、西梅本村、八木町、吉富村、富本村、新庄村、 麻気村、園部町、川辺村、世木村、五ケ荘村、胡麻郷村 |
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須知高等学校 | 船井郡の中、園部学区以外 | |
綾部高等学校 | 河鹿郡 | |
福知山高等学校 | 福知山市、天田郡 | |
河守高等学校 | 加佐郡(由良村、神崎村、八雲村、岡田下村を除く地区) | |
西舞鶴高等学校 | 舞鶴市(西舞鶴)、加佐郡(由良村、神崎村、八雲村、岡田下村) | |
東舞鶴高等学校 | 舞鶴市(西舞鶴以外の地区) | |
宮津高等学校 | 与謝郡 | |
峰山高等学校 | 中郡 | |
網野高等学校 | 竹野郡 | |
久美浜高等学校 | 熊野郡 |
参考資料:「京都府教育史」
出典:政府統計の総合窓口(e-Stat)(http://www.e-stat.go.jp/)
ある公立高等学校の変遷2に進む 1950-52年の高校通学区 - 紙つぶて 細く永く
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