紙つぶて 細く永く

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それでも時は流れる

多くの人は最後の局面になると、すなわちこの状態を継続することが終わるとの自覚を持つと変わるものだ。厳しく追及していた人がおとなしくなり、少し早とちり気味の人は一層気にもかけ無くなる。人の性は別れについて活動を縮小するものらしい。
そんな中、以前から声をしきりとかけてくれた同僚が食事に誘ってくれたり、わざわざ時間を割いて立ち寄ってくれたりと、より一層気使いをしてくれる仲間もいる。
このような人を仲間というのだろう。

オリンピックのエンブレムが盗作の疑いでついに取り下げとなった。スタジアムといいエンブレムといい、ことはオリンピックだけに世界中から注目を集め、組織委員会の失態のニュースが駆け巡る。しかし、今回も「盗作ではない。しかし国民の理解を得られない」との発表で、だれも責任をとらないという処理の方法。丸山眞男の指摘した権力行使に伴うべき政治責任の観念が欠如する悲しき「無責任体制」。
またデザイン界には擁護する意見もあるようであるが、制作者である佐野事務所では各種画像の無断使用も認めているが、数々の受賞経歴のある事務所でこのような盗用がいわば業務の一環として行われていたとすれば、デザイン業界においては自身は著作権利者として守られるが、他人の著作についてはこのような無断使用がまかりとおっている業界ですと宣言するようなもので、これも恥ずかしい極みだ。いわば野合する仲間か

ただ同じ空間にいるだけという繋がりの人であっても、例えば「おはよう」と快活に挨拶ができればいわば仲間になり、この人には警戒をする必要はないとの判断になる。同じ環境の人間でも、もごもごと口の中だけで挨拶らしき語を発するするあるいはまったく無言の場合は、意識下で警戒心が働く、この人は少し警戒しなければとなる。挨拶は人の間の潤滑油であり何気ない一言であるが重要だ。

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U先生の研究室へ最後の挨拶にお伺いした。空間を埋める蔵書の谷間で飲み会の話でまとまった。次週金曜日、花見小路「花ぎおん」


 

REMEMBER3.11