今朝の新聞から
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うちの会社は、ガラスや鏡を加工しています。技術を高く評価していただき、大阪市の超高層ビル「あべのハルカス」にも納めました。従業員はおよそ100人、年商およそ30億円です。
恥ずかしいことですが、私は半世紀まえ、命を捨てようとしました。
1927年に創業した父は、私が大学4年のとき急死しました。学生のまま肩書だけ社長になり、実質は義理の兄たちが経営していました。
卒業して名実ともに社長になると、大赤字に驚きました。兄たちはやりたい放題で、街の高利貸からも借りていました。取り立ては、すさまじかった。さらに、下の兄は独立し、お得意先をもっていく裏切りにでました。
ある日、私は、衝動的に、大阪城の桜の木の下で、瓶いっぱいの睡眠薬を一気に飲みました。気がつくと、病院のベッドでした。
私は、キリスト教的隣人愛を説くトルストイの「人生論」に心酔していました。いったん命を捨てたのですから、自分を、自己愛を、エゴを、捨てることにしました。他人への愛に生きる決心をしました。
社員のために会社を再建しなくてはなりません。ガラスをうちに納めてくれていた大手メーカーの課長さんの家にいき、事情を説明しました。課長さんは支払いを待ってくれました。「なぜ早く来なかった」と怒られました。
私は、プライドや恥ずかしさを捨てていなかった。だから、自死寸前に追い込まれたのです。もし今、行き詰まっている方がいるのなら、あなた、すべてを捨てて他人にすがりましょう。死んで花実が咲くものか。
私は、社員たちに、利益の25%をボーナスとは別に払うと約束しました。約束は、もうひとつ。「利益の5%は、私たちより生きる権利を奪われている人たちに寄付する」
社員たちは頑張りました。自分の懐が温かくなるだけではなく、寄付先の障害者福祉団体が喜んでくれるのですから。無償の愛は、仕事のモチベーションになります。5年で累積赤字を一掃、それからずーっと黒字です。
のちに、裏切った兄の会社は行き詰まったのですが、会社ごと引き取りました。知人からは「あんた、あほちゃうか」って言われましたが、許すことも愛。もちろん、いつも悪魔からささやかれています、「うらめ」「憎め」とね。耳を貸しません。だって、一度命を捨てたのですから。(編集委員・中島隆)
REMEMBER3.11