紙つぶて 細く永く

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

東日本を訪れる 了

石巻から小牛田そして夕闇の松島を垣間見て仙台に着いた。
仙台駅近辺で夕食をとろうと構内を少し歩いた。
東日本震災から1年半近く経つが、駅構内の交番に行方不明者の掲示があった。
思えば、いまだに3千名近くの方が行方不明なのだ。 
歩いてみると市内道路にもひび割れや段差が残る。

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日常の中にある震災の思いを伝えていた。
やはり牛タンを食べた。一見では満足行く店になかなか当たらないものだ。
名物の牛タンです、という以外何の感動もなかった。

翌朝宝珠山 立石寺がでんと控えている。
頭で描いていたのは、(地図では)駅前にある 立石寺をゆっくり拝観し、芭蕉になったつもりで一句でもひねればと・・

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石巻のバスに帽子を忘れていたので、門前の土産物屋で編み笠を買い求め日差しの中を登りはじめた。 しかし現地は、急勾配の山道だった。
賑やかな家族連や、ハイヒールの女性、バックパッカーに最近どこでも見かけるようになったアジアからの観光客、 この「山寺」にたくさんの人であった。
四国遍路でもそうであったが、大勢の参拝者の中にご老人がいる。
なにがそうさせるのか柵に掴まりながら石段を懸命に上がる。
「空海・弘法大師」「慈覚大師」等先人の信仰が1400年くらいに 亘り影響力を持っている。
四国遍路では八十八カ所を一巡りすることを「打つ」というが猛者は100打ち以上になるそうだ。
(八十八カ所歩き遍路は行程日数1ヶ月以上はかかるので相当の日数、いや年数を経ていることになる)
頭が下がる。

こちら立石寺は大半のひとが初めてのようで、すれ違う人の顔を見ると(こんなに)大変とは思わなかった、という表情だ。 こちらもそのような顔に違いない。
汗を流しながら 日枝神社から芭蕉と曽良像で写真を撮る。
山門で拝観料を納めさらに階段を進むと九十九折の参道。すれ違いながら無言で大変だと (言葉を)交わす。
地質からか山腹に洞が多く見られる。
やがて有名な句の生まれた場所 せみ塚に到着。説明には、なんでも 芭蕉が名句『閑さや 岩にしみ入 蝉の声』の短冊を埋めたと読めるように書いてあるがこれは後年に 俳人坂部壷中が因んで埋めたというのが正解に思える。(注)
ここには不滅の法灯があるそうだ。京都 比叡山延暦寺が信長によって焼き討ちされたとき、開山以来の不滅の法灯が消えた。
そのときにここ 立石寺に分灯されていた火が延暦寺に「分灯」された。延暦寺とも縁の深い 立石寺であった。
(注)蝉塚 明和年間に最上林崎の俳人坂部壷中が芭蕉の風雅を偲んで『閑さや』の名句を書いた 短冊を埋め石の塚をたて蝉塚と名づけた。
 後年この蝉の種類についての有名な論争があるのです 山形上山出身の 歌人斉藤茂吉と漱石の門人で東北大学教授小宮豊隆の蝉論争である 茂吉の アブラゼミと教授のニニゼミである 実地調査の結果 芭蕉が尋ねた7月中旬には未だアブラゼミは鳴かないのです ニイニイゼミかヒグラシゼミの教授に軍配が上がったのは有名  当初芭蕉は『山寺や 石にしみつく 蝉の声』と詠んだが後に『さびしさや 石にしみ込む 蝉の声』と改作し最後に『閑さや 岩にしみ入 蝉の声』 と改めた
http://www.t-aterui.jp/yamagata/y-yamadera3.html

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ほどなく写真でよく見る納経堂が見えてきたのでこの辺りまでと 奥の院は諦めた。開山堂で腰を下ろし、すぐ近くの五大堂でJR山寺駅を撮影 山寺随一の眺望とあって多くの人が入れ替わり訪れシャッターを押す。

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この距離だと下山は上りよりはうんと楽。山門横の売店で遅まきながら「うちわ」を買い求めた。
これがなんとも良い。丁度京うちわのよう。赤い油紙で裏表に「山寺」とだけ墨汁で黒く書かれている。

早めの昼食をとって、駅に着くと11:41発の快速があった。山形着が11:57。
上野着が19時頃、今日の宿泊は東京の築地の予定。
山形12:17発 米沢着13:05  米沢発13:10 福島着13:56
福島発14:20 郡山着15:07 郡山発15:20ここまでは無事予定通り。
そして郡山を出発した列車は黒磯16:23着の予定であったが、列車は須賀川駅に入る手前で動かなくなった。 またまたゲリラ豪雨らしい。
相変わらず天気は快晴である。しかしすぐに車内放送で代行バス運行のアナウンスがあり須賀川から新白河まで 代行バスに乗った。この旅で2回目の代行バスである。この「運」にも感心しながら上野着が遅れる悪い予感がした。 JR東日本の手際は良かった、いや良過ぎたのかもしれない。
代行バスが1時間ほどで新白河に着きホームで通勤時間帯のような混雑の中、 新白河から黒磯までの列車を待った。
20分いや30分もまったであろうか列車が入ってきた。その列車には乗客が乗っていた。 なんと代行バスで移動する1時間の間に東北本線は運行を再開していた。
当然満員状態で列車は運行された。 あのまま乗っていれば少しは遅れたかも知れないが手際よく黒磯に着いただろうになんとも悔やまれる「運」であった。
列車は混雑度を増しながら東京に近づき、当然連絡も悪く上野に到着したのは21時頃になった。

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東日本を訪ねたかった。思いは半ば達成したが、残り半分、北東北を訪れたい。
(続編 東北2回目の旅その1へ進む 東北2回目の旅 その1 - 紙つぶて 細く永く)

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