紙つぶて 細く永く

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質問の流儀

このところ講演会(を聞き)に行く機会が多い。
中身もさることながら、講演会の形でこれは?というときがある。
皆さん期待をもって、ある事についての先達の話を聞きたいと集まるのであるから、身を乗り出して聞いている。
中でもそういう思い入れの一層強い人なのだろうか、講演会の後に質問をする。
とくに、一般的参加者よりもその主題について思い入れの強い人に良く見られる傾向であるが話し出すと「制御」が出来なくなり、質問者の主題に関連する修飾が延々と続く。
また、場違いな質問で時間を浪費する。

例えば、
「私は新聞記者をしていますが、今回の震災について政府の発表はなっていない。なぜ迅速に「SPEEDI」の情報を公開しないのか、報道にも問題はあったことは認めるが、適切且つ迅速な政府発表があればもっと市民に伝えることにも役立てた・・・」と延々と自説を披露。
(これは「災害とIT」という講演会での発言。全く関係者がいないし答えようがない質問)
「私は取り立てて厳しくも無い両親に育てられ、一人っ子で高校まで猫かわいがりされました。
高校卒業からはそんな環境がいやになり、少しでも早く離れたいと、都会の大学に進学しました。
ところが、希望していた学部に入れずに農業関連の学部に入りました。
そこで気がついたのですが、両親がやっていた地に着いた農業の素晴らしさです。
その大学で知り合った主人と、現在この地で畑をしています。
農業の素晴らしさに気づいた私たちは、昨年の東日本大震災福島原発爆発で被害を蒙られた福島の農業者からお米を取り寄せて食べています。
先生にお聞きしたいのですが、私たちには中学生と小学生の子どもがいます。
福島のお米をこの子達とも一緒にたべていますが、問題は無いでしょうか?
先生にこのことをお聞きしたい」
(最後近くにある「中学生と小学生の子どもに福島のお米を食べさせていいか?」の一言で済む質問)

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上記の新聞記者は途中で司会者から制御された。
司会者も扱いに困るような長広舌はどしどし制御し、多くの聴衆に多くの意見を聞かせてほしい。
それがフラストレーションを少しでも和らげる。
(それにしても何故講演会の主催者は例外なく「時間も押していまして・・」といいたがるのだろう)