紙つぶて 細く永く

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箴言5

[戦争をした体制の成り立ち]
日本の軍国主義とイタリアのファッシズムとドイツのナチズムは初めから権力の奪取のしかたが違います。
ドイツの場合、ヒットラーとナチは、1932年にミュンヘン・プッチュ(一揆)をやるわけですが、これは暴力団じゃないですけれども、一種の極右政党で、従来のヴァイマール共和国の政治的な制度のまったく外から出てきた。
ムッソリーニは、一種のジャーナリストです。
リソルジメント(国家統一運動)以来のイタリアの伝統的な政治勢力のなかから出てきたんじゃなくて、その外部からです。「ローマ進軍」という言葉が示しているように外部から大衆を組織して権力を掌握しました。
日本の場合はまったく違います。日本の軍国主義は、体制の外から出てきて権力を握ったんじゃありません。
1932年に五.十五事件があって軍事クーデターが失敗しました。それから、1936年の二.二六事件を起こしたいわゆる「青年将校」は権力をもっていた人たちじゃないといえば言えるけれども、荒木貞夫とか真崎甚三郎とか、いわゆる「皇道派」の将軍も加わっていた。将軍は政治権力の中枢部です。
ヒトラーは伍長です。

ドイツの場合には、ユダヤ人を殺した歴史を負っています。ユダヤ人は社会的にも文化的にも影響力が強い。
それだけが理由ではないけれども、ドイツの場合には、戦争中の強制収容所アウシュビッツの責任者を放っておくということはおそらくできません。
だから、ニュールンベルグで戦争責任の国際裁判があったあとで、ドイツ人自身が戦争責任の追及を行います。
ついには時効をやめて、そもそもナチの犯罪に関するかぎり時間に関係なく追求するということになり、ドイツでは非常にたくさんの裁判がありました。

日本の場合には、これは多くの人が指摘していますが、東京裁判という戦争責任を問う国際裁判がありました。
その裁判がすんだあとで、日本人がみずから日本の法廷で日本の戦争犯罪人を裁いたということはただの一例もない。
(細菌実験の秘密部隊で、ロシア人や中国人を細菌兵器に生体実験につかった)石井部隊、これはもう戦争犯罪中の犯罪です。あらゆる国際協定に違反していてそれをやった責任者は犯罪人です。
しかし、地下鉄にサリンをまけば犯罪で、中国人を強制連行して、動物実験みたいに毒ガスあるいは生物兵器の実験につかえば、犯罪じゃないというのが戦後日本の不思議な建前です。
加藤周一-戦時体制=日本・ドイツ・イタリア=とその変革-