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<近代の克服> 「転向論にかえて」第4章

「京都学派」の実態についての先学の批判論旨

戦時中でも資本主義に対して批判的言辞を吐くことは、それ自体としては決してタブーだったわけではないし「近代超克」論の資本主義批判のごときは、到底、資本主義に対する真の批判とは呼べない。
戦時中にタブーであったといわれるのは「科学的社会主義」の立場からする資本主義批判であった。

1 「日本的ファシズム形態」が成立したのは「ミイラとりがミイラになったのではなく、移入ファシズムを否定的媒介にしながら」自己形成をとげたものである経緯を顧みつつ、「いまファシズムの危機を喋々したり、軍国主義の兆候を叫んだりしている手合いの多くは、一朝ことあればそのままの位相で、ファシズムの担い手にな」りかねない事情を指摘。
「それは新しいなにかとして登場するだろう。その新しい何かはファシズムを否定するかたちで歴史の舞台に登場してくるだろう。
このとき、現在唱えられているファシズム否定論はほとんど役に立たないにちがいない。
むしろこれはファシズム否定論の多くを自分の味方にひきいれつつ登場してくるはずである」-松本健一-

曲がりなりにも日本が資本主義社会として成立している以上、その克服を「八紘一宇」などという呪文で何とかなる態のものではない。
近代の「超克」が戦時の日本で議論された際、それは単なる哲学談義ではなかったし、況や"近代文学"の克服というがごとき単なる文芸談義でもなかった。
それは優れて歴史的実践の案件として立言されたもの。戦時態勢下における体制的イデオロギーとして、「意想外に」時流に乗り得たのだと思われる。
もちろん、いかなる体制追認的なイデオロギーといえども、現状そのものに対してはなにがしかの批判的距離を設けているのが一般であり、"思想的"提言としての機能を果たしのである。

現状を超えようと志向するとき、そして実現さるべきその新しい在り方が現状のリニアな延長上には期待できないと認識されるとき、思想上の謂わば通則として、人は過去のうちにイデアールを"見出し"現状はそれからの"頽落"であると考えがち。いわゆるロマン主義的反動ともなる。
往時の「近代の超克」論者たちがイデアールとした「原日本的なもの」それは天皇の存在に象徴される国家体制の在り方と相即する。

一方「文学界」誌上のシンポジウムと並んで車の両輪をなした「中央公論」誌上の座談会のごときは、"弾圧"の対象にもなった。
京都学派の高坂正顕氏の論文「思想戦の形而上的根拠」(中央公論昭和18年6月号)が当時雑誌の"統制"をおこなっていた陸軍報道部から厳しく糾弾され、京都学派の"近代の超克"座談会は当局によって「不快」な
ものとされ「批判」の的になっていた。