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<近代の超克> 「転向論にかえて」第1章

廣松渉著「<近代の超克>論」

雑誌「文学界」1942年10月号に「文化総合会議シンポジウム-近代の超克」という座談会が、掲載された。
これとは別に1942年から43年にかけて、高坂正顕高山岩男西谷啓治鈴木成高の4名が、雑誌『中央公論』で3回にわたり座談会「世界史的立場と日本」を開く。


これを廣松渉著「<近代の超克>論」で読み解く。


参加者は一般的に名づけられた、

「文学界」グループ略称B、

「日本浪漫派」略称R、

および「京都学派」略称K

の三派に分類され構成されている。

「文化総合会議シンポジウム-近代の超克」参加者は
河上徹太郎東京帝国大学経済学部卒・日本文学報国会に関与)

以下、
西谷啓治(京都帝大文学部哲学科卒・京都帝大教授)、
R諸井三郎(東京帝国大学文学部卒・1965年から1976年まで東京都交響楽団音楽監督)、
鈴木成高京都帝国大学文学部史学科卒・京都帝国大学助教授)、
R菊池正士(東京帝国大学理学部物理学科卒・大阪帝大教授[後に東大原子核研究所初代所長となる)、
下村寅太郎京都帝国大学哲学科卒・東京文理科大学助教授)、
R吉満義彦(東京帝国大学文学部倫理学科卒・上智大学教授)、
小林秀雄東京帝国大学文学部仏蘭西文学科・明治大学教授)、
亀井勝一郎東京帝国大学文学部美学科中退・日本文学報国会評論部会幹事)、
林房雄東京帝国大学法科中退・後に『中央公論』に『大東亜戦争肯定論』発表64年)、
三好達治東京帝国大学文学部仏文科卒・明治大学講師)、
R津村秀夫(東北帝国大学卒・朝日新聞学芸部)、
中村光夫東京帝国大学文学部仏文学科・筑摩書房顧問)以上13氏

「世界史的立場と日本」への参加者
高山岩男京都帝国大学文学部哲学科卒・京都帝国大学助教授)
高坂正顕京都帝国大学文学部哲学科卒・京大[旧]人文科学研究所教授:所長)
西谷啓治
鈴木成高
(肩書きは当時)

特に林房雄氏について記す。
1930年 - 日本共産党への資金提供を理由に検挙。治安維持法違反で検挙。のち起訴され、豊多摩刑務所に入る。
1932年 - 転向して出所
1933年 - 小林秀雄武田麟太郎川端康成深田久弥広津和郎宇野浩二らと同人誌『文学界』を創刊。(~1944年)
1963年 - 『中央公論』に『大東亜戦争肯定論』発表

鈴木成高氏によれば会議で提起されようとした論点は

会議の論点
  1. 「近代の超克」をば問題の本来的意味において、即ち欧州的意味において明らかにすること。
  2. 問題を日本的角度において定位し、日本的課題としてこの問題が何を意味するかを明らかにすること。
  3. 超克すべき近代が19世紀であるか或いはルネサンスにあるかを検討すること。
  4. ルネサンスの超克は当然「人間性」の根本問題に触れる。キリスト教の将来とも関連しなければならぬ。
  5. 機械文明と人間性の問題は科学の問題に関連する。即ち文明の危機を解決するに当っての科学の役割と限界との問題が起こらねばならない。
  6. 歴史学としては、特に最も関係の深い問題として「進歩の理念」を超克することが問題となり、また歴史学固有の問題として歴史主義の超克が最も大きな根本問題とならなければならない。歴史主義の超克は即ち歴史学における近代の超克である。


となっている。