紙つぶて 細く永く

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東日本震災から5ヶ月

東日本震災から5ヶ月
やはり一つひとつのことを思い出さない訳には行かない。
高橋卓志
南相馬農業高校体育館には100体近いご遺体が安置されていた。
柩の窓が閉じられたものは身元が確認された方。
身元がわからない方の窓は開けられたままだ。
100体ものご遺体を前にした瞬間、私の死を視た体験は崩れ去っていった。
いままでの死とはボリュームがまったく違う、すさまじい死がそこにあった。
柩の中の一人ひとりが、津波に襲われ、のみ込まれる瞬間、何を思ったのだろう、
苦しかっただろう、痛かっただろうと、そんな思いが交錯した。
身元確認で訪れる人と、見守る警察官以外はいない、寒々としたご遺体安置所で、
私は、意を決し、柩に向き合い、お経を誦みはじめた。
遺族もいない場所、見送る人々もいない場所での読経が、どのような役に立つかはわからない。
しかし、それをせずにはいられなかった。
津波から10日たった3月21日の朝のことである。
この日から、ご遺体安置所での読経は私の日課となった」

その中でも、
私には際立って無為としか思えないいわゆる「政治屋」が
日本の無駄ではないかと思えてしかたない。
彼らは、富の再分配屋ではないのか?
なぜ、富が再分配されないのか?
手抜き(=無為)があるとしか思えない。
ドナルド・カーティス
「永田町の人たちに危機意識があればこんな足の引っ張り合いができるはずがない」

この人の発想にはやはり常人ではない何かがある。
だからこそ今の「安藤忠雄」が出来上がっているのだろう。
安藤忠雄
「桃・柿育英会東日本大震災遺児育英資金を立ち上げた。毎年1万円の募金を10年間払い続けることによって、
子どもたちとその周囲の人たちを何とか支援できないかと考えた。
残念ながら8割が女性で男性はほとんど社会に関心がない
気迫のあるおばあさんが電話で、『私80歳。あと10年いけますか』と、
いけるとこまでいきましょう」

やはり「震災復興宝くじ」を買い求めるのはやめよう、かったつもりで義援金にしようと思う。

京都の夏・風物誌「五山の送り火」が今年も8月16日に行われる。
本年は東日本大震災で被災したあの岩手県陸前高田市景勝地高田松原」の倒木松が使われるとのことだった。
今日7日の新聞では、京都市民からの「放射能汚染は大丈夫か」という声に押され高田松原の松は使われなくなった。
京都市送り火保存会が事前にすべての松を検査し、放射性物質は検出されなかったが
牛肉汚染の広がる中で「放射能への不安を完全に取り除くことは、世論をみると難しい」との判断から使用中止を決めた。

第一 京都市送り火保存会が事前にすべての松を検査し、放射性物質は検出されなかった。
第二 「京都市民からの声」の実態は? 「大丈夫使おう」という声もあるだろう、こちらは無視なのか?
第三 なぜ使うと決定したあとで翻すのか? この程度の心配で使用中止するなら最初の意思決定はなんだったのか?
   被災した、陸前高田の市民だけでなく被災市民全員を二重の意味で愚弄した。
第四 大きく報道されることで、意志薄弱京都市民像が浮き彫りにされた。

「一般的に送り火そのものは、盆の翌日に行われる仏教的行事であり、再び冥府(冥府・死後の世界)に帰る
精霊を送るという意味をもつ盆行事の一形態で、この行事が一般に広く行われるようになったのは、
仏教が庶民の間に深く浸透した中世-室町時代以降であるといわれています。
五山のそれぞれの山にそれぞれの歴史が伝えられていますが、その起源には平安初期、室町中期、江戸初期ではないかと、
さまざまな俗説がありますが、どれ一つとして明らかな説はなく、確かな記録も残されていません」
「それは「五山送り火」が宗教的行事でありますが、地元の人々によって始められ、受け継がれてきたため、
記録にとどめられなかったのではないかとも考えられています。
そして現在も「送り火」は地元の人々や、ボランティアの皆さんによって支えられ、
数百年という歴史が民間で受け継がれている行事なのです」-京都五山送り火連合会HPより転記-

第五 長きにわたり先人たちが築き上げた歴史・伝統に背くことにならないか?
祇園祭に代表される京都(みやこ)の町衆はそんなやわな心意気ではない。