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ベトナム戦争その1

NHK番組「叫び声が聞こえる~ジャーナリストたちのベトナム戦争~」が放送された。
ベトナム戦争を命を賭して取材した往年のカメラマンたちの回顧録である。
番組には出てこなかったが、ベトナム戦争では、有名な沢田教一氏(「安全への逃避行」注1)
他多くのカメラマンやジャーナリストによって戦場の一面が撮影され、伝えられた。
しかし遺作をのこして亡くなったカメラマンやジャーナリストも多くいたことを改めて思い出す。
番組の中では現在長男が軍人、次男はアメリカ企業に勤める、
当時のベトナム民主共和国カメラマンが登場した。*
アメリカは社会主義国である北ベトナムベトナム民主共和国)からの
南ベトナム解放民族戦線(「ベトコン」(注2)、1960年成立)への闘争援助を警戒し
1964年にトンキン湾事件(注3)を惹き起こし、
翌1965年2月7日には北ベトナムへの集中爆撃(北爆)と米軍戦闘部隊の
南ベトナム派遣を行なった。
    注2 元来アメリカ・南ベトナム側による南ベトナム解放民族戦線の蔑称
    注3 1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が、
     報告書『ベトナムにおける政策決定の歴史、
     1945年-1968年』こと“ペンタゴン・ペーパーズ”を入手、
     トンキン湾事件はアメリカが仕組んだものだったことを暴露した。
結局大国アメリカは戦況を打開できず、1973年、ベトナム民主共和国
アメリカ・ベトナム共和国とパリ協定を締結し、米軍を南ベトナムから撤退させるとともに、
1969年に南ベトナム解放民族戦線が中心になって南ベトナム共和国臨時革命政府を樹立
そして1976年7月2日に南北ベトナムの再統一とベトナム社会主義共和国の成立が宣言された。

アメリカは南ベトナム社会主義化、ひいては「ドミノ理論」により東南アジア全体が
社会主義化することを防ぐという目的で軍事介入したのであるが、結果は見事な敗北
アメリカ社会にも深刻なベトナムシンドローム(注4)を巻き起こした。
    注4 http://www.hfitz.com/chie/vietnam/vetnam.html 

注1)ホーチミン市戦争証跡博物館には沢田氏の有名な写真「安全への逃避」が展示されている。

natgeo.nikkeibp.co.jp


何のための戦争だったのだろうか。

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