議論となった京都タワー
美観とは何かという問題は今回の「タテカン問題」の論点から少し外れる。
タテカンはあくまでも表現の自由の問題だ。
しかし、百歩譲り京都市のいう美観からという立場から調べると、どうやら京都市は京都タワーを焦点に景観政策を考えているのではないかと思える。
京都の玄関、京都駅前にそびえる京都タワーがある場所は、元京都中央郵便局の跡地で、1958(昭和33)年、京都商工会議所主催による懇談会で跡地の利用が検討された。
その懇談会の結論として、応募もあった民間会社ではなく商工会議所として新会社を設立して、現地に京都の表玄関としてふさわしい文化・観光センターを建設・運営するのが最適であるとされた。
そして2年後には建設準備委員会が設立され、その後株式会社京都産業観光センター(注1)として発足、いよいよビル建設に着手することとなった。
京都タワー設計者は日本武道館など多くの公共建築を手がけた山田守氏の設計によるもの。
タワーの設計コンセプトは、京都市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたというものだった。
当時のビルディングは高さ31mという建築制限があり、センタービルも制限いっぱいの9階建て31mで設計された。
その途中で横浜のマリンタワーのようなタワーが出来ないかということになり、京都大学工学部教授・棚橋諒氏が設計検証し、「ビル屋上にタワーを載せることは技術的に可能」との見解が出ると、屋上工作物という名目で高さ100m・重量800tのタワーの設置が決定した。
塔本体は厚さ12-22mmの特殊鋼の円筒を溶接でつなぎ合わせてできており、骨組みは存在ない。
タワーはこれまでにも、瞬間風速50m/秒を超えるいくつかの台風を経験し、また阪神大震災では震度5強の激しい地震動を受け、大きく揺れたものの、損害は無かった。そうして、東海道新幹線開通とほぼタイミングを同じく1964(昭和39)年12月にオープン。
しかし、建設当初から高層建築には反対運動があり、京都ノートルダム女子大学の講師だったジャン・ピエール・オシコルヌ氏は「古いたたずまいの京都の雰囲気を壊すのは許せない」として、当時の高山義三・京都市長に抗議の書簡を送った。
これを契機として、京都タワー建設反対論が新聞や雑誌をにぎわ した。反対の署名活動や抗議集会なども開かれた。
しかし、反対論ばかりではなかった。評論家でNHK評議員の井上吉次郎は6月20日付「毎日新聞」で、それまでの駅とその周辺の場末風の景観にふれ、次のように論評した。
「むやみに古都に新しく生まれるものに反対しては都市は栄えない。古都といっても、平安人の墓場ではなく、今日から将来にかけて京都人が生きる生活の場なのである」
7月12日付「京都新聞」には、岡際基督教大 学名誉総長・鴻浅八郎の論評が掲載された。
「京都駅前はもっと近代化されるべきである。要するに、このタワーはやがて内外の観光客や市民に、京都とその周辺の全貌を展望し大観して、真に京都の自然の美しさと、現存する文化財の豊富さを再認識させる近代的観光施設として、是認せられるであろうことを私は予感する」
このようして反対意見を押しのけて工事は進めらた。
結果京都に相応しいかという議論を巻き起こした建物が50年以上もの間、京都駅前に構えている。
(注1 現在は京阪電車による100%子会社京阪ホテルズ&リゾーツ株式会社)
京都ホテル問題
1988(昭和63)年、京都市は総合設計制度というものを導入し、公開空地等を確保することで、高さ制限や容積率の緩和が可能とした。これを利用して高さ60mの京都ホテル改築が行われ1994年に完成、ついで1997年高さ59.8mの京都駅が完成した。
この「京都ホテル」60m改築案についても、京都仏教会を巻き込むなど京都を上げての大論争となった。
しかし、この総合設計制度はその後2007年9月1日の京都市景観計画の変更(高度地区計画書の変更)により廃止された。 京都市:総合設計制度の概要
その結果「これまで総合設計制度の許可により高度地区の制限が適用除外とされており,改正後の高度地区の制限に適合しない建築物については,高度地区の制限上は既存不適格建築物(注2)となります」
つまり、京都タワーや京都ホテルオークラは既存不適格建築物となった。
京都駅地区については特例として、申請があれば高さ制限について検討する地区となっている。
京都市内は建物の高さは最高31mに制限されている。
したがって、現在京都タワーのような高層建造物は建てられない。
ちなみに既存の京都タワーも大幅な構造改築や、色の変更は京都市市街地景観整備条例によって再審査される。
(注2 将来建て替えの時には、今の京都市景観計画により、低くしなくてはならない建築物)
今の京都市景観計画では認められない建築物だ。
注3 現在2005年の景観法制定を受けて建造物修景地区・沿道景観形成地区となる。
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嵐山の美観
上記図にある嵐山の屋台は京都府の管轄で、京都土木事務所によると1代かぎりの設置許可がでているので今のところ対応策はない。
しかし、このエリアは京都市の風致地区第二種地域で建物については
上記のような規制がかかっている地域でもある。
なぜ放置されているのだろうか・・
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苦渋の行政
いわば京都タワーという汚点を抱きながら、京都は景観問題に飲み込まれている。
京都タワーは「京都駅前はもっと近代化されるべきである。要するに、このタワーはやがて内外の観光客や市民に、京都とその周辺の全貌を展望し大観して、近代的観光施設として、是認せられるであろうことを私は予感する」
建物として存在している。
近年の外国からあるいは国内他府県からの観光客も駅前の巨大な建物を背景に写真にとりながら京都市内へと吸い込まれて行く。
京都市民は、巨大工作物としての京都タワーを先頭とする既存不適格建築物と引き換えに何かを失ってしまったのだ。
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京都市はそれを目の前にし、おそまきながら必死になって過去を取り戻そうとしている。
その中でなりふり構わず「京大のタテカン」にも手を染めたのだ。
REMEMBER3.11