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ある公立高等学校の変遷 資料1 多くが抱く誤解

京都の公立高校進学率について通学区に対する誤解は多い。
何人かの教師からも聞いたが、小学区制で通学区が変わる、すなわち地区によって大学進学率が変わっているのではないか?
という疑問だ。しかし数字を拾った結果は小学区で通学区の変化に連動するような進学数変化は(決定的では)なかった。
つまりA地区からの生徒が集まる年と、B地区からの生徒が集まる年では小学区である以上進学率に差はでない。これが東京の学校群制度のように同じ地区から例えば3校に生徒が割り振られるような形になれば、学力のある生徒も分散し進学者数も三分の一程度になる。

そこで一例として鴨沂高校について、資料が集まった1952年から1990年の京大合格者数と対応する通学区を掲載します。
鴨沂校章マークf:id:greengreengrass:20171227094756p:plainをクリックすると該当する年の通学区を開きます。
開いた通学区図は1年から3年生のそれぞれ異なるの通学区が混在する年には2図掲載しています。上が前回の通学区、下が該当年の通学区です。同一の場合は当年のみ掲載。
初年度1952年は通学区改正が1949年、1950年、1952年と行われたので3図となっている。

 

年度

京大合格者数

通学区

1952 調査できず
1953 42
1954 調査できず
1955 調査できず
1956 調査できず
1957 調査できず
1958 調査できず
1959 調査できず
1960 45
1961 調査できず
1962 32
1963 35
1964 31
1965 34
1966 20
1967 22
1968 22
1969 6
1970 26
1971 8
1972 8
1973 6
1974 8
1975 10
1976 8
1977 3
1978 9
1979 3
1980 6
1981 7
1982 7
1983 8
1984 4
1985 5
1986 0
1987 0
1988 2
1989 1
1990 1


同級生や多くの関係者から「凋落の原因」として通学区の変更を聞かされた。しかし一旦変更されたあと、次回の通学区変更時に元に戻るパターンでもなお低落していることもあり、通学区の変更と凋落の原因はむずびつかなかった。
 特にいわゆる「学校群」制度になってからはブランドとしての鴨沂高校の「人気」は凋落し、学力も進まなかったようだ。

公立校全般について考えるなら、人気私立高校の成績増進、長期勤務経験のある教師の移動(退職)、教育カリキュラムの変更、総体的な教育委員会としての注目度、大学進学率が変わらないとすれば難関校よりも一般校への入学増、国公立よりも校風の確立した私学へという流れ、これらの相乗効果で京都大学進学数が激減したのではないかと判断したいが、それにしてもこの数字は謎をはらむ・・

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