紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

ある公立高等学校の変遷2 1950-52年の高校通学区

かって「15の春は泣かせない」というキャッチコピーの高校通学区制度があった。
住居地によって通学できる複数の公立高校で入学者を振り分けられる高校入試制度が総合選抜制度。
しかし京都では西の文部省ともいわれた京都蜷川府政でさらに厳格に、居住地から通学できる高等学校は1校となる「小学区制」が1985年まで実施された。
その制度による新制高等学校発足1949年の京都市内高校通学区地図が以下の図。

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各高校への通学区を色分けした。(醍醐地区は不明)

高校は市内に集中している。15才になる人口を小学校校区毎に分けて通学高校を分けている(図で色分けした)。地図中の高校名称は現在のもの。

 そして翌1950年の通学区は以下に変更された。下図は全体図

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混乱の中で1949(昭和24)年通学区を決定したが、1950年の通学区はさらに混乱し、1年、2年、3年でそれぞれことなる学校への通学ともなった。これは1年の時に通った高校と異なる高校に2年生として通学するということでもあり、市民保護者からかなりの苦情もでたようだ。

1950(昭和25)年の京都市公立高校通学区
下図は1950年鴨沂高校洛北高校にかかる通学区 洛北高校については戦後すぐ校舎を新制中学に明け渡し、鴨沂高校内に間借りをし両校合わせて3000名以上の生徒が昼夜の2部制授業で開校した。 そのため1949年には洛北高校通学区がなかった。1950年からは元の府立第一中学校舎となり洛北高校としての通学区となった。
下記グラデーション部分は学年によって通学区が異なっている。

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次に1950年山城高校洛北高校の通学区 グラデーション部分は学年によって通学区が異なっている。

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こちらが1950年山城・嵯峨野・西京高校の通学区 グラデーション部分は学年によって通学区が異なっている。

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次に1950年桂・西京高校通学区 グラデーション部分は学年によって通学区が異なっている。

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1950年堀川・朱雀高校通学区 グラデーション部分は学年によって通学区が異なっている。

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1950年日吉ヶ丘高校通学区 現在の東山区山科区

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そして1950年伏見・桃山高校通学区 グラデーション部分は学年によって通学区が異なっている。

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1951(昭和26)年は通学区変更がなかった。
1952(昭和27)年には混乱した通学区からの反省か全学年同じ通学区となった。

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これ以降左京区北部久多や広河原、花脊が京都市内への通学区として組み入れられた。1952年は洛北高校の通学区となった。この距離では多分下宿しないと通えなかっただろう。
 そのため高校入学を機に一家あげての離村等もあったようだ。1975年の調査による離村状況についての資料(坂口 慶治「京都市近郊山地における村化の機構と要因」以下URL )が詳しい。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/27/6/27_6_579/_pdf

京都市では、このような事情もふまえ小野郷地区と左京区北部地区(久多や広河原、花脊)から該当する高校へ通学する生徒向けとして、1968年に右京区花園に市の施設「北辰寮」が設けられた。(1995年に廃止 注1)

(注1)現在京都市では北辰寮廃止に伴い、花脊中学・宕蔭中学地区の生徒が市内に下宿する場合の補助金制度がある。下記参照

http://www.city.kyoto.lg.jp/kyoiku/cmsfiles/contents/0000184/184749/24hekiti.pdf


1952(昭和27)年の京都市公立高校通学区

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1952(昭和27)年鴨沂高校通学区 左京区南部と上京区の一部、それに山科区が加わった。

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1952(昭和27)年洛北高校通学区 左京区北部から中部

1952(昭和27)年4月に京都市によって紫野高校が開設され通学区は以下となった。

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1952(昭和27)紫野高校通学区 北区全般

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1952(昭和27)山城高校通学区 北区一部と右京区の一部

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1952(昭和27)嵯峨野高校の通学区も広大になっているが路線バスがある。

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1952(昭和27)朱雀高校通学区 中京区全般

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1952(昭和27)堀川高校通学区 上京区と中京区

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1952(昭和27)日吉ヶ丘高校通学区 東山区

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1952(昭和27)伏見高校通学区 下京区南部、南区東部、伏見区北部

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1952(昭和27)年洛陽高校通学区 下京区南部と南区

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1952(昭和27)年桂高校通学区 現在の西京区と南区の一部

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1952(昭和27)年桃山高校通学区 北部を除く伏見区

出典:政府統計の総合窓口(e-Stat)(http://www.e-stat.go.jp/

 

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