紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 16

線路は続く6 巨大ゆえに

(文中敬称略)

 国鉄の労使関係は、公社すなわち「形式的には企業的色彩の強い面を持ちながら財政面については政府機関に近い拘束を受ける組織」としての成り立ちもあり給与水準については民間ベースによる賃金水準が慣行となっていた。これはいわば従業員の給与を企業の業績と関係なく決定される、ということは従業員の企業経営への関心を弱め各人の行動や労働組合の行動にも秩序が失われるのは自明であるとの意見も多い。
しかしこのことは他の多くの公共企業体も当然そのような空気になるのではないか。
人事院HPには以下のように記載されている。

人事院勧告(国家公務員の給与)  人事院の給与勧告は、労働基本権制約の代償措置として、職員に対し、社会一般の情勢に適応した適正な給与を確保する機能を有するものであり、国家公務員の給与水準を民間企業従業員の給与水準と均衡させること(民間準拠)を基本に勧告を行っています。  人事院は、国家公務員の給与等勤務条件の決定について、法定すべき基本的事項は国会及び内閣に対する勧告により、具体的基準は法律の委任に基づく人事院規則の制定・改廃により、その責務を適切に果たすよう努めています。

公務員下記の赤枠内に現業として国鉄があり国鉄職員の給与は人事院の勧告対象であった。 

f:id:greengreengrass:20170621074837p:plain

そしてなお国鉄は他の現業や公社(郵便・電電公社・専売公社)と比しても屋外作業、危険作業の多い重労働である。また鉄道利用者の身体財産を預かり、監督者なしでの自己の判断が求められる、等特殊な職場であった。

谷伍平「国鉄における人事管理」以下参照

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jspa1962/1965/4/1965_49/_pdf

ましてや国鉄給与決定その前提である人事院勧告は政府によって完全実施されないこともあり、強大である労組にとっては忸怩たる思いであった。

人事院勧告実施率.pdf - Google ドライブ

 *
国鉄分割直前の長期債務は25兆円を超えた。85年度の国鉄の実質負担利子は1兆1190億円、同年の旅客貨物運賃収入の36%にあたり、一日当たり30億7000万円という金額になる。民間企業なら当然企業の倒産であり、仮に国鉄が公社でなく政府直営であったなら欠損処理を先送りするような愚策を継続することはできなかったであろう。しかし、国鉄公共企業体であったため、政府は国鉄を批判する第三者的立場にたってしまい、国鉄債務のごく一部しか負わなかった。ここにもいわば公社としての歪が露呈した結果となった。

国鉄労使そして政府共にその落とし穴にはまった。その結果分割に向けてまっしぐらに進むことになった。

さてこの事態を改善・改革するにはという難問に時の国鉄と政府は挑んだ。
 一連の混乱の責任をとって藤井総裁が辞任し後任に大蔵事務次官だった高木文雄総裁が着任した。そしていわばその着任に対する「持参金」として「国鉄再建対策要綱」を決定した。骨子は累積赤字のうち2兆5404億円を特定債務として一般勘定から区別し欠損金を棚上げ、国民の負担から(一応)切り離す、そして地方の赤字ローカル線つまり地方交通線助成に172億円を計上というもの。そして1976年に運賃を一挙に50%値上げするという提案だった。そのため国民にどう窮状を訴えるかという観点から、「日本の鉄道はこのままでいいのだろうか12」でも取り上げた「病める巨象」の全3回キャンペーン広告がうたれたのであった。

参照 日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 12 - 紙つぶて 細く永く

1976年(昭和51)年6月からの国鉄運賃50%値上げ案は国会へ提出されたが、審議が難航し値上げ実施は11月6日(土曜日)からとなった。
 またそれに向けて国鉄としても経理局調査役井手正敬を中心に「国鉄再建の基本構想案」の作成に取り組んだ。柱は2本、国鉄の路線を「幹線系線区」と「特定地方交通線」の2種類に分け幹線系は自前の努力で黒字にする、特定地方交通線は思い切って廃止する、というものだった。そして人員については国策上生じた要因構成の歪として戦後の混乱期に受け入れた職員の退職金及び年金名目で一定金額を政府負担としようとするものだった。
 政府はこれに基づき「国鉄経営再建促進特別措置法案」を策定した。
「後のない経営改善計画」と称されるこの計画について自民党総務会では「この計画が失敗したら、国鉄を民営化する」という意見も出た。
 しかしこれらの計画も国鉄を守れなかった。
改善計画の主眼であった人員削減に当然組合側は反発した。しかし、「スト権スト」の倍賞請求問題がからみ強硬な策にはでられない事情もあり国鉄当局との力関係も弱いものになった。
よく国鉄は私鉄と比較される。しかし私鉄だけで鉄道制度を整備できるのならば国有の鉄道はいらないわけで、国鉄の存在価値があるとするならば、私鉄との比較はそう参考にならない。まして交通権の確保、公益を重視する地域交通政策等を考えた場合、国鉄(公的企業)でなければできない鉄道という側面がある。 そのような意味から鉄道制度を考えると国鉄は、
「私は日本国有鉄道なのです。潰れてはならない、また潰れることが許されない企業なのです」という甘えを持ちもろもろ諸悪をも生んだ。
1970年代の国鉄は収支の欠損にかかわらず、60年代の経済発展が今後も続くという予想の元、将来の収支均衡、利益の発生を前提とし借り入れに依存した経営を続けた。 またこの時期は政治自体が深い混迷の中にあり国鉄改革も遅々として進まなかった。 

注1)中曽根の前任者は自派閥の宇野宗佑だったので「子分の後に親分が就くのか」と揶揄された。(ちなみに宇野宗佑滋賀県出身で後に総理となったが「三本指総理」以下URL参照-として国際的に大変有名となりわずか69日で辞任)

宇野首相の女性スキャンダルって、どんなスキャンダルだったんですか? - ◆宇... - Yahoo!知恵袋

そして時だけが流れた。

「後のない経営改善計画」も挫折し1987年4月国鉄は「分割・民営化」されることとなった。
会計検査院HPに京都大学大学院経済学研究科 藤井秀樹教授の「国鉄長期債務の処理問題とその経済的含意に関する一考察 」という論文以下URLがある。

第17号 | 掲載論文(11号~20号) | 研究誌「会計検査研究」の発行 | 会計検査に関する調査研究 | 外部との交流活動 | 会計検査院 Board of Audit of Japan

それによると、

国鉄長期債務の累増を可能にした制度的枠組み
  1. 鉄道建設審議会(鉄建審)は運輸大臣の諮問機関であるが、国鉄時代には「新線建設の手続きのなかで、事実上の最高決定機関」として機能し、国鉄が分割・民営化に先立つ約20年間に行った無謀な投資を実質的に決定した。そして同審議会の審議そのものは「儀式」に過ぎず、その議事運営はときの有力政治家によって牛耳られてきた。 歴代の有力政治家たちは鉄建審を制度的舞台にしながら、「我田引鉄」と揶揄される無謀な新線建設計画を強引に決定してきたのである。
  2. 鉄建公団と本州四国連絡橋建設公団(本四公団)は上越新幹線青函トンネル建設を鉄建公団、瀬戸大橋建設を本四公団の事業として進められた。これらの事業の長期債務は国鉄の決算書においてオフバランス(帳簿外)項目とされていた。しかし国鉄再建監理委員会はこれを、国鉄清算事業団に「処理すべき長期債務等」として配分したのである。国鉄の経営破たんが深刻化するなかで強行されたこれら大型建設工事はこの特殊法人を抜きにしてはありえなかったであろう。
  3. 随意契約制度 国鉄の工事契約は1980年代には年間約15万件ときわめて膨大な件数にのぼったが、その約85%が随意契約、14%が指名競争入札で、一般競争入札は1%にも満たなかった。この制度的慣行が政治家と国鉄幹部の癒着の温床になった。
    たとえば「[国鉄の]資材購入[価格]は少なく見ても押しなべて[通常価格よりも]三割は高いといわれ、その上乗せ分は、国鉄OBや国会議員の顔を立てるためにムダに使われた」(草野厚国鉄改革-政策決定ゲームの主役たち-」1989年)

と指摘されている。

 


1987年4月それでも国鉄は分割され民営化された。
37兆円という巨額の債務のうち25兆円を国鉄精算事業団に引き継がせた。またその経緯の中でも国鉄破産ーJR7社新会社設立という、今までにない法的解釈は23年という長期にわたり裁判闘争となった。分割民営化は対象が巨大な組織ゆえの無理も重ねられた。https://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa62/ind000202/frame.html

国鉄改革、出向判事が助言1987(昭和62)年の国鉄分割・民営化で、最高裁から旧国鉄に出向していた判事が、国鉄改革案の策定に法律的な助言をし ていたことが(1998年6月)11日、関係者の話で分かった。
 民営化に伴う千人近い国労組合員の不採用問題は今も未解決のまま。 運輸省国鉄との共同作業でまとめられた国鉄改革法を根拠に、東京地裁は先月(1998年5月)28日、JR側に採用選考のやり直しを命じた中央労働委員会の救済命令を取り消す判決を出しており、労使紛争を扱う弁護士らは「司法の公平さを欠く」と批判する。一方、最高裁は「出向には何ら問題はないし、実際の裁判に影響を及ぼすこともない」と反論している。
 助言をしていたのは、84年に最高裁調査官から国鉄法務課調査役に出向したA判事。分割・民営化後も国鉄清算事業団法務課長を務めた後、87年に東京地裁に戻り、横浜地裁などを経て先月まで東京地裁の民事部総括判事を務めた。現在は地方の家裁所長。
 複数の当時の運輸省国鉄幹部は、分割・民営化の直前、A判事が「国鉄側の改革箴略づくりに深くかかわった」と証言する。
 運輸省幹部は「国鉄改革法の作成は、国鉄職員局のグループなどとの共同作業だった」とし、当時の国鉄側の担当者は「民営化戦略の中心的役割を担っていた国鉄職員局にA判事がしばしば顔を出し、国鉄を倒産させてJRに引き継ぐプランについて、打ち合わせを していた」と話す。
 「A判事は、国鉄側の戦略づくりのキーパーソンの一人だった。その助言を受けたのだから、中労委との裁判には負けないと確信し ていた」と語るJRの現職幹部もいる。
 最高裁によると、判事の出向は「法律関係の顧問的な役割」を求める国鉄側からの要請で始まった。七七年から代々、参事や法務課調査役として出向、八七年の民営化後も、清算事業団に総務部次長などとして出向する"慣例"が現在まで続いている。
 身分的にはいったん判事を退官する形をとるが、共済組合や退職金の算定は連続している。
国鉄改革論議が本格化していた八一年には、B判事が最高裁行政局第二課長から国鉄総裁室法務課調査役に転出。八四年に東京地裁 に戻った後、大阪地裁などを経て現在は東京地裁の民事所長代行。また、八七年にはC判事が最高裁調査官から清算事業団総務部法務 課長に出向し、同部次長を務めた後、九〇年に東京地哉に戻り、現在東京高裁民事部に在籍している。
 最高裁からは法務、通産などの中央省庁や預金保険機構などに計百人以上が出向しているが、公共企業体への出向は国鉄だけ。
1998(平成10)年6月12日東京新聞記事より

この法律的な助言によって旧国鉄からは職員を除く金銭的債務の一部(採用者の年金を含む)を引き継ぐ形でJR各社は発足した。
 これが破綻を「偽装」して新会社を設立し、気に入った者だけを新会社に採用することなり、違法・(憲法28条)違憲といわれる点でもある。
 国鉄分割民営化が政府の手で行われて以来、大中小企業を問わず偽装倒産による解雇が横行しているとも言われている。
 ましてや「この国のかたち」を決める根幹で、司法が制度設計・法案作成・執行・裁判という全プロセスに絡んでいたことになり、三権分立を脅かす重大な問題だとも指摘されてる。以下参照

1987年 国鉄の分割・民営化―司法の「この国のかたち」への関り方

結果この「法律的な助言」により実に一応の和解まで23年という長期的な裁判が争われることとなった。

JR不採用訴訟、和解が成立 1987年の国鉄分割・民営化に伴う国鉄労働組合国労)の組合員らのJR不採用問題で、組合側が旧国鉄(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に損害賠償などを求めた訴訟は28日、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)で和解が成立した。機構が解決金として1世帯当たり約2200万円を支払い、国労側は東京高裁などで係争中の同種訴訟を取り下げる。
 民営化に反対した組合への雇用差別だとして長く争われてきた紛争は、23年ぶりに裁判上の決着を迎えた。
 和解調印式は午前10時半から、原告と被告双方の代理人が出席して最高裁で行われた。
 機構側が負担する解決金は1世帯当たり約2200万円で、和解に応じた904世帯で計約199億円。実際の支払額は、これまでの裁判で支払われた賠償金など約29億円を差し引いた約170億円となる。
 和解条項には、不採用問題について組合側は今後争わないとすることや、原告と被告の間に今回の和解内容以外に債権・債務がないことを相互に確認することも盛り込まれた。
 和解後に記者会見した国労闘争団全国連絡会議の神宮義秋議長らは「23年余りかかったが、和解できてうれしい。JRへの雇用が実現するよう、政治などに要請していきたい」と話した。
 原告のうち、和解に加わらなかった6人は引き続き争う意向を示しているという。
 不採用問題を巡っては、当時の自民党などが目指した政治決着が2002年に決裂。翌03年にはJR各社に救済を命じた中央労働委員会の命令取り消しが最高裁で確定、解決が遠のいていたが、09年の政権交代などを機に和解の機運が高まり、2010年4月に与党などと国労が和解することで基本合意していた。

日本の鉄道はこのままでいいのだろうか 15 へ戻る- 紙つぶて 細く永く

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」