紙つぶて 細く永く

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無学

こんな書評を読んだ。

〈東京やニューヨークのような大都会に生まれて何不自由なく育った、しかも親の躾がなっていない「傲慢なクソガキ」が抱きそうなこの手の妄想を、いい大人になっても信じている愚か者……それが中華思想に染まった連中です〉
  大体が冒頭からこような雑駁な表現に出くわした途端、この本を投げ出したくなるではないか。 およそ文化や国家を論ずる文章にはあるまじき、偏見に満ちた、語彙の乏しさを露呈させる文章である。
〈この意味が分からない人は自分で調べてください〉
 この1行に象徴されるように、本書は読者に向き合うことにおいてきわめて不親切で不真面目である。
大槻慎二 編集者、田畑書店社主

書評された本は読むまでもないが、「無学」という言葉が思わず浮かんできた。

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昔、外資系会社に属していたときストライキが話題になった。まだ土曜日が半ドンだった時代だ。労組から「賃上げストライキ」の提案があり、スト権確立にむけて職場会議を実施することになった。
そのころから、諍いが好きだった私は、個人的にも大いに意気があがり全員賛成すると思っていた。
ところが中に、私はクリスチャンだから争いはいやだとか、ストをした後に処罰があるのでは、などちょっと賛成できないという社員もいる。その中の一人クリスチャンの後輩に向かって下記説得をした。

 

 この世の中に課題があるとする。それを分析すればどこが問題でどのような方法をとれば解決に進むかを調べることができる。
 たとえば、政治的に右から左までの組織があったとして、その組織内の最左翼をどんどん切り続ければ、いずれ最右翼がその組織の最左翼になる。
このような詭弁を弄していた。
物の見方はいろいろあり、自らの評価に関係なく他者の視点でみればヤシの木も女性の立ち姿に見えるものだ。
「私は彼らを少しも憎んではいなかったが、私の属する国が彼らの属する国と戦っている以上、彼らがいくら彼ら同士の間で、この十字架の下で信心深い生を営むとしても、私に対してはすべて敵であった」
しかし詭弁を弄しても私はその後輩を説得できなかった。その後輩はスト権確立と同じくして社をやめた。

中華思想は大小強弱何処にもある。中国には中国の、フランスにはフランスの思想があり、米国にはさらにアイダホにはアイダホの、ユタにはユタの夜郎自大がある。
ひとつの見方を勝手に披露するのはいいが自身「ヤシの木を女性の立ち姿」に見ていないかを絶えず内省しないとだめなのでは。

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」