紙つぶて 細く永く

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官僚の習性

官僚は「個人」を出さない。その明らかな意識が現れるのが名刺を持たないということだ。ただ個人的に作る人は見かけたことがある。
しかし少なくとも、公的には名刺を作る費用を組織として出さない。その代わりとして、部屋の入口に在席表が張り出してある。
この意思表示はよく言えば、だれが担当となっても変わらない作業、変わらない結果を出す、ですから個人名は必要ないのです、ということだろう。

柔軟な思考を停止させるために規則を決める。
Aさんが書類を提出した。時間をかけて検討し結論をだした。次にBさんが書類をだした。時間をかけてさらに検討したが同じ結論をだした。Cさんが書類をだした時間をかけて検討したがAさんと同じ結論だった。
この作業を何例でも延々とやり続ける。
民間なら、少なくとも三例目位で「おやこれらの例は検討しなくても結論は一定だ」と思考を働かせる。
官僚の習性では「柔軟な思考=無駄な思考」をしないからこそ公平であり、合理的だと考えているのだ。
官僚といえども生身の人間だからだれかおかしいと気づく。しかし歴史の重みがある組織だから少しの力では動かない。
 合理性に疑いがあっても公共組織はいわば独占企業である。競争相手はいない。かかる経費「必要」とされる経費は入手できる。従ってだれもが途中で挫折する。ましてや予算を余らせることに、触れようものならバッシングだ。
 「悪しき前例をつくらない」が官僚の心性だと思う。

 財務省は4日、佐川宣寿(のぶひさ)・理財局長(59)を5日付で国税庁長官に栄転とする人事を発表した。共産党宮本岳志氏は
「場合によっては国民に記録提出を求める立場の国税庁トップになる人は、私に面と向かって『記録がありません』と言い続けた人物だ
うまり今後国税庁で、「この収入の根拠となる記録を提出してください」といわれても「記録がありません」と返答すれば、収入は根拠のないものとなり「なかったことになる」申告者にとっては確定申告のビッグチャンス(かもしれない)。

一方文科省OB前事務次官の前川氏の言葉は、「面従腹背」「 仮に魂を「貸す」ことはあっても、必要な時には取り返せ」で官僚としての心性が垣間見れた。
そのスタンスによって、官邸の「情を通じた」路線は萎えてしまい、かえって人間性があると信頼感が増してしまった、ということを実感できるサイト

官僚は試験によって採用されるが、国民によって選ばれたのではない。したがって国民によって選ばれた政治が官僚よりも優先されるのは至極当たりまえの事、その中で少し政治に行き過ぎがあっても、面従腹背で、仮に魂を「貸す」ことはあっても、必要な時には取り返せ・・と。

「民主制度は社会の中間層が豊かなときは座席も多く余裕があるが、富が縮小し中間層が薄くなると座席も削減される。そしてうまく席に着いたものがバッシングによって非難され、名ばかりの民主制に陥って行く」
とこの番組は解説する。
うーん一面だなあ。