紙つぶて 細く永く

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Bridge of Spies

痛く感動して、ソ連のスパイ、ルドルフ・アベルトーマス・ワッターズ)の演技を見ていた。

冷戦の中、敵国で冷静に落ち着いて未来を見つめる眼に感動したのだ。
検索するとアカデミー助演男優賞受賞とききさすがだなと感じた。

原因はアカデミー賞授賞式は某有料衛星テレビ局の一社独占で契約していないと見られないのでいまいちインパクトが弱い、受賞履歴が頭に残らない。

映画をくり返し見ながら思った。「我が国の名誉のためにこの弁護を引き受けてくれ」、「なぜこのような輩に合州国憲法を適用しなければならないのだ」、という台詞、そして小学校での国旗・国家などにアメリカは「なんと生真面目なんだ」という印象を植え付ける。

アメリカ映画は常にそうだが一方的な思い入れが強くある。これは国家そのものの性格でもあるのか、ふと我に返り「この道はあっているのだろうか?」なんて戸惑いは表面上はない。
主人公ドノバン(トムハンクス)も有無を言わさず怯むことなくアベルの弁護に向かう。敏腕の弁護士は内面の弱さなど見せないとうことかな。
小学校で国旗を前に国歌の斉唱をするところで、ふと最近よく似た光景があったと思い出したが、その国と異なるところはその敬意の対象が人物ではなく物にあるというところだろう。
 映画の中でドノバンが訪れてきたCIA要員に規則についていう「あなたはドイツ系、私はアイルランド二人が同朋でいられるのは規則すなわち憲法だよ」
アメリカをまとめているのは大統領ではなく国旗国歌に象徴される国なんだといっている。
時にその一方的な思い入れが思わぬ方向にゆがむこともある(それは概して大統領が共和党の時代に多い、ニクソンしかりマッカーシーしかりブッシュ親子しかり)が、必ずもう一方の思考(指向)があり時代の中の全体としては進歩しているのだろう。
それは現在の米大統領にもいえるんだろうな。

それにしても思想的には正反対だろうが、ニクソンはトムハンクスと似ている。

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アベルはドノバンの尽力によりアメリカのスパイ機「U2」の操縦士パワーズとグリニーケ橋で交換されることになった。
ドノバンはアベルにいう、
「帰国すれば歓迎されるのかい」
「それはわからない」
得た情報を自白したスパイはもはや不要となる。

映画の最後に、「ストイキームジーク=不屈の男・倒れない男」とドノバンを評するアベルはいう、
「橋を渡った後、抱擁されたなら「歓迎」されているのだろう、しかしそのまま後部座席にすわらされたなら「歓迎」されてはいないんだ」 
 遠く見守るドノバンの前で彼は抱擁されることなく後部座席に座らされた。ドノバンはまさしくストイキームジークとなり立ち尽くす。という最後です。

しかし不審に思い調べました。自白したスパイなら不要ではと・・
やはりここは演出のようで、アベルは帰国後後進の指導にあたったという一節もありました。ここはストイキームジークという言葉が演出を決めたのでしょう。

 

 

REMEMBER3.11

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