文書はあった。つまり嘘をついていた。
なぜ嘘をつく必要があったかを考えてみる。
結果の誘導を行っていないのなら、たとえ文書が存在し公表されても問題ではないと考える。
公開された場合、その文書の信ぴょう性を明らかにするよう働きかければいいのだ。
しかし結果の誘導を行った事実が明らかなら、文書が公開されるとまずい。
信ぴょう性を疑っても事実を告げる文書なのだから覆すことは難しい。
つまり誘導を行った場合以外には文書の存在を否定する前提はない。
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それよりもなによりもこんなに明白に堂々と嘘をつき続ける行政をもったことが悲しい。
行政を預かるということは本来何よりも崇高な精神がなければならない。
公務員はこのように後ろ指をさされる職業ではないはずだ。
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楽美術館に行ってきました。
伝えないことの大切さ - 日経テクノロジーオンライン
450年にわたる辛苦の歴史
樂焼 RAKU WARE|樂美術館 - 樂家に伝来する樂歴代作品と茶道工芸美術・樂家文書資料
同時掲載になったがなんの対比だろうね。
REMEMBER3.11
不断の努力「民主主義を守れ」