立花隆の力作「論駁」そこにこんな一節が。
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法律問題というのは、数学や物理の問題のように答えが必ずしも一義的に出るわけではない。ひとつの論点について三つか四つの議論が同時になりたちうる場合すらある。どの立場をよしとするかは見解の問題、選択の問題である。
それぞれの論理を追っていけば、A説もB説もC説もそれなりの論理的成立基盤を持つということはいくらもありうる。
従って法律のプロが議論していて相手の見解を「誤り」ときめつけるときは、理論的にはそういう主張が成り立ちうるとしても自分はその主張にくみしないという意味の主観的「誤り」を意味している。一方こうした主観的「誤り」に対して、1プラス1を5としてしまうような客観的(=絶対的)「誤り」はプロ同士の議論においては極めて少ない(Blog加筆 「が素人には多い」)
手始めに渡部昇一氏の著書「暗黒裁判論」から引用すると
田中有罪の予断を捨てると、この裁判が暗黒裁判であることがわかってきたというのである。
私は渡部氏のたぐいまれな博識ぶりとレトリックの駆使能力にはかねて敬服しているのだが、そのひとが時々イカサマ論法を使うことをこの人のために大変残念に思う。
元長官は一審を受け入れて控訴・上告するな、などという意味のことは一言もいっていない。政治家田中角栄の身の処し方について意見を述べているのであって、被告人田中角栄の処し方、すなわち控訴すべきか否かについて意見を述べているのではない。
この程度が理解できないで、慄然と目から鱗が落ちる大学教授も大学教授である。
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渡部氏は引用による論証が人一倍お好きな方(Blog注1)で「角栄裁判論」に限らず、氏の書く文章はいつでも多彩な引用にちりばめられている。
しかし引用する場合には「引用のしかたにおいて正しい引用である」「引用された内容が客観的に正しい」「引用が論理的に正しく論証の一部を構成している」という条件が守られなければならない。
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俵幸太郎氏(Blog注2)の発言の中に「よしんば田中角栄氏が若狭得治氏に電話をしたとしても、それはまさに内閣総理大臣たる田中角栄個人の行為であって、総理大臣には運輸大臣の権限を代執行する権限は持っていない」
これを受けて林修三氏(Blog注3)は「こんどのローッキード事件は前の事件より職務権限については理由は薄弱です。判決では田中角栄氏が若狭氏に電話をかけて機種の変更を頼んだ。それを仮に若狭氏が聞かなければ、今度は田中氏は開き直って、運輸大臣に対して、あの閣議了解を使って『おまえ行政指導しろ』ということが言えるはずだ、だから密接関連行為だという論法なんだ。実際にはやっていない」
しかし裁判で田中の働きかけの事実として認定されたのは小佐野経由の働きかけと、総理官邸における、若狭、渡辺に対する直接の働きかけの二点である。総理大臣官邸執務室で執務時間中に働きかけをしたのである。この二人のやり取りの中で法律の専門家林氏は「それは総理大臣たる田中角栄の力じゃなくて田中角栄個人の力ですよ」と言い換えている。
おそらく俵氏は、中曽根首相が靖国神社参拝にあたって、「総理大臣たる中曽根康弘個人として」と玉虫色の答えをした例にならったのだろうが、法律の世界では玉虫色は通らない。「総理大臣である田中角栄が個人的に行った職務行為」であれば問題なく田中角栄の職務権限は成立する。
賄賂罪の規定は公務員の「職務の公正」と「職務の公正に対する国民の信頼感」を保つためにある。
賄賂を貰っても、職務は公正にやりましたという場合、前者の「職務の公正」は保たれても、後者の「公正に対する信頼感」は破壊される。ゆえに職務権限の行使に実効がともなっていなくても処罰されるのである。
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Blog注1 わたしもそうだなあ
Blog注2 俵孝太郎 - Wikipedia
Blog注3 林修三 - Wikipedia
職務権限に基ずく行為をやったかやらなかったかは関係がない。職務権限(職務密接関連行為を含む)を保持しているならば、その権限が行使できる範囲で賄賂を貰うと賄賂罪に問われる。
このことは多分合州国大統領にもあてはまるのではないか。各メディアでトランプ大統領がFBIにたいして捜査の中止を求めた(希望した)ことにたいしてFBIがその捜査を中止した様子が無いことを司法妨害の立証が困難とうたっているが、実効だったか否かでなく、総理大臣(大統領)が官邸(ホワイトハウス)執務室で執務時間中に捜査中止の働きかけをしたことが重いのである。
(当然同様にどこやらの国の「官邸最高レベル」が行ったことも実効性云々と関係なく考えるべきだ)
REMEMBER3.11
不断の努力「民主主義を守れ」