紙つぶて 細く永く

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ドクターヘリ

3年前に兄が「ドクターヘリ」で運ばれた。
庭で作業中に誤って柵の上から落下、額を強打しそのショックで脊椎を圧迫損傷、下半身が麻痺した。
落下から約1時間後に奥さんに見つけられ、近くの病院へ搬送されたが、処置ができずに、京都市内の病院へヘリコプターで運ばれた。通常なら奥さんは勤務でその場合は落下時間から帰宅する夕刻まで放置されるところだった。そうならば内出血により脊髄への圧迫が増し処置は難しいことになっていた。
兄がドクターヘリで運ばれたといっていたのですっかりドクターヘリに乗ったと思っていた。
 そして今回数日前に甥御がロードレースの練習で転倒し、ガードレールに頭をぶつけ強打、道路脇に転落し、かろうじて這い上がったところを見つけられ、病院に運ばれたところで意識不明となり、京都府北部の福知山から京都市内にヘリコプターで運ばれた。
数年の間に2名がヘリコプターのお世話になったことになる。
運び込まれた福知山の病院で処置は不可能だったのだろう、ドクターヘリが手配され京都市内の第一日赤病院へ緊急搬送された。
後で聞くと最初の病院では駆けつけた家族も、かなりの時間待機となり心配したようだが、ドクターヘリは福知山から京都まで15分で到着。
そして丁度近くで買物をしていたわれわれが連絡を受け最初に第一日赤病院へ駆けつけた。第一日赤病院救急受付では、「いまドクターヘリで運ばれた」と告げただけで受付者は名前を聞き返すわけでもなく救急待合へと案内をされた。
最初に説明にあたった医師の話では、この第一日赤で脳外科手術を担当する医師が、別の緊急手術中ですぐには手術ができないので、京都医療センターへ転送になるかもしれないとのことであった。すぐにこちらに向かっている家族に転送の件を伝えないとと思っているうちに再度看護士から呼び出しがあった。
 そしてその脳外科手術担当先生が、救急治療室に急きょ駆けつけてくれていた。治療室に案内されそこにあるCTの画面で見ると、甥御の頭部の中三分の一くらいに血腫が広がっていた。
医師はすぐにでも血腫を取り出さなければならないことを伝え、われわれにドリルで頭部に穴をあける了承を求められた。もちろん了承することを伝え救急治療室の中、われわれの目の前で多数の医師がチームを組んでの緊急の手術が始まった。このような時には手術に必要な無菌室は用意できないだろうしかつ医師も躊躇しないのだ。
後で感じたことだが、医師には一般人にない強い決意が必要なのだと。意志の弱いものならば、このような時でも頭部にドリルは当てられもしないだろう。その決意を目の当たりにした。

そして救急治療室での血腫の取り出しの後患者は手術室に運ばれた。その後われわれは病院を離れやがて、数時間の後無事その後の手術も無事終わったことを伝え聞いた。

実は兄が乗ったのは京都市消防局の航空隊ヘリコプターであり、正確にはドクターヘリではなかった。治療設備はなく医師ではなく救急救命士が同乗している。
甥御の乗ったのがドクターヘリで、こちらには医師が同乗し治療をしながら搬送される。
ドクターヘリ拠点となる病院は近畿では兵庫に2か所(公立豊岡病院 加古川医療センター)、大阪に1か所(阪大附属病院)、滋賀に1か所(済生会滋賀県病院)ある。

広域的なドクターヘリの配置・運航|関西広域連合
そして依頼に基づいてヘリが飛ぶ。
今回の場合は豊岡からヘリが飛び、福知山市民病院の医師が同乗し京都第一日赤へ着いた。
 甥御の手術が始まるときに、ヘリに同乗していた医師が勤務病院へ帰るところにであった。手術着のまま大きなカバンを2個抱えタクシーに乗り込んだ。思わずお礼に駆けつけ「帰りはタクシーですか」と・・
なんでもドクターヘリは片道だけなのだそうだ。再び福知山経由でなく豊岡まで直行で戻る時間節約と、途中でさらに派遣依頼の連絡がありその病院へ向かう場合もあるそうだ。その医師は2時間以上かけて病院に戻るのだろう。

昨日甥御は奇跡的に意識が回復し自ら車いすに座ったと聞いた。しかしなぜ自身ここにいるのかは釈然としない様子だそうだ。人の本能として事故時の恐怖の記憶がないのかもしれない。

 

REMEMBER3.11

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