今回の「森友学園」でも感じたが、公務員が扱う金銭感覚は一種不可思議なものだなあとつくづく感じる。
何事も一種の契約に基づいてことは始まり、「発注」行為が、あり「納品」行為を受け、「検品」を行い、「請求」を受ける。それがたとえ同じ相手から同じ日に「納品請求」をうけても、「契約」が異なれば一件ごと個別案件として処理をする。
原因は予算によって縄張りが決まっているからだろう。
したがって同じ日に同じ製品を同じ部署に、別予算で納めるときに価格が異なっても異をとなえない。
そのような流れの中で、今回の土地売却問題が発生したとして、隣にある同様の土地価格と「森友学園」に売却した土地の価格を、そもそも比較検討なんてしないのだ。異なる契約に基づいた「製品」の売買に比較なんてことはしない。だから片方が10億円であり、もう一方が1億円であろうと、躊躇しない。どのみち「私」のふところは痛まない。
「国民の血税」であろうが、最終的に破たんするのは国家消滅の時だ、国民がある限り税は納められ、「私」の所得は確保されるにちがいなかろう。
だから「少し」の無駄はあるかもしれないが・・、えいやと決めてしまった、となって官吏のいう「少し」の差額8億円が発生した。
後は世間で言われる官吏個人の「自己責任」は問わないという金科玉条である。
官吏は主張する、
なぜなら作業を行った「私」は「国民の財産を国民に委託されて取引や処分を行うのだから窓口担当者に過ぎない」
事後にはこの原則に会うよう、説明時に糊塗すればいいのだ。
となってその結果財務省はあたふた糊塗している。
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(注) 参照
記者鑑または『ストーンズ週刊誌』の事(加藤周一さん)1975年3/11朝日新聞 ( その他文化活動 ) - tassa税金taxSteuer,impuesto - Yahoo!ブログ
(おまけ)今回調べてみてびっくりしたのは、加藤周一に政治家を揶揄した文章は多いが、いわゆる官僚を批判した一文は見つからなかった。(他にあるのかなあ)
REMEMBER3.11
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