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紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は元のBlog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

移民または亡命者たち

国際・政治 反知性

加藤周一に「亡命者たち」という一文がある。

亡命者たち(抄):加藤周一日本から外国への移民はあったが政治的理由による亡命者は、十五年戦争当時の狂信的な軍国日本からさえも、きわめてまれであった。
 その理由の一つは、日本政府が批判者を弾圧し投獄はしたが、国外追放はしなかったということである。
  当然強制的な亡命はなかった。
自発的な亡命がなかったのは、もちろん、亡命先の言語習慣と殊に日本のそれとの著しいちがいによる。しかしそれだけではなく、長い鎖国の伝統があり、政治的信条が知識人においても国家に超越しなかった。
 ヒトラーが政権を掌握した一九三三年以降、ドイツからの、後にはドイツ占領下 のヨーロッパからの、亡命者は多かった。
33年から45年まで、その数は百六十万人に達したといわれる。 その一部は、ナチ政権による国外追放(主としてユダヤ人)であり、大部分は、 弾圧-38年の「クリスタルーナハト」(注1)から42年の「ヴァンゼー会議」(注2)決定まで -を恐れての自発的亡命である。
米国がその間に受け入れたヨーロッパからの亡命者は三十一万八千人、 その中でユダヤ人は二十五万人。米国への亡命者のなかには、二〇世紀の文化の形成に決定的な役割を演じた自然科学者や社会科学者、作家や音楽家、建築家や造形芸術家が含まれていた。
 たとえばアインシュタインやエーリッヒフロム、トーマスマンやブレヒトシェーンベルク、ストラビンスキー、ミース・ファン・デル・ローエ(注3)、グロピウス(注4)、 シャガールモンドリアン
「亡命者たち-ヨーロッパの芸術家のヒトラーからの逃走」(exiles十emigres‐The Flight of European Artist From Hitler) という展覧会をロス・アンジェレスで見て、さまざまのことを考えた。
 亡命の芸術家は、二つの世界と係る。
 一方では、彼または彼女を育てて来た過去の世界。そこには作品を評価した公衆もいる。
 他方では、現在の仕事場としての世界。 そこには未知の、作品を受け入れるか受け入れないかわからぬ公衆がいる。
 も し芸術家がその独自性を貫くとすれば、過去の環境に対し鋭く批判的であった芸術家は、亡命先の環境に対しても批判的でなければならない。
 しかるに亡命先で、批判的表現が公衆に受け入れられることは期待できないだろう。たとえばゲオルク・ グロス(注5)の作品を、米国社会は、それがあまりに暗く、絶望的である、として批判し た。
 他方亡命は、(自身が所属した)旧世界の人々から、かつてその批判を受け入れた人々からさえも、多かれ少なかれ距離を作りだす。
 仲間の批判を受け入れた公衆が、亡命先からの批判を受け入れる、とはかぎらない。
 亡命芸術家の根本的な孤独は、旧世界においても、新世界においても、作品をもって呼びかける相手、聴衆や観客を見失うことであろう。
 政治に「コミット」せず、社会問題に係らず、自己内部の世界の表現に専心して きた芸術家は、亡命先においても、その立場を貫くことで、公衆から受け入れられることがある。たとえばべックマン(注6)。彼はヒトラーの死後もヨーロッパヘ帰らなかった。しかし自己内部の世界を養ってきたのは、旧世界の文化的環境であって、亡命先のそれではない。たとえばフェルナン・レジェ(注7)は、米国の環境の素晴しさを評価する言葉をのこしているが、画家において重要なのは、言葉ではなく、画面である。その画面が亡命先で根本的に変わったのではない。故にフランスが「解放」されると。彼はパリに帰った。
 亡命芸術家の態度は、人によって異なり、一般化することは、きわめてむずかし い。私はただサン・テグジュペリ(注8)が第二次大戦中のリスボンで書いた小冊子を考え る。彼はそこで亡命を定義し、「帰るところのない旅」である、とした。亡命でない旅には、それがどんなに長くても、帰るべき故郷がある。
ブルターニュの漁夫にと っては、喜望峰の沖で操業中のときほど故郷が身近に感じられたことはない」……。
 ヒトラーを逃れた芸術家たちの多くは、長い旅をしたので、実は亡命者ではなか ったのだろう。
 ほんとうの亡命者たちは、どこにいても同じ仕事のできる自律的な精神的世界を、 自己内部に作りだした人たちだけではなかったろうか。
  • 注1)「水晶の夜」1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動、迫害である。水晶の夜という名前の由来は、破壊されたガラスが月明かりに照らされて水晶のようにきらめいていたことによる。
  • 注2)15名のヒトラー政権の高官が会同して、ヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺害について分担と連携を討議した会議
  • 注3)ドイツ出身のモダニズム建築の代表的な建築家
  • 注4)近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエフランク・ロイド・ライトミース・ファン・デル・ローエと共に)の一人とされる。世界的に知られた教育機関(学校)である「バウハウス」の創立者であり、初代校長を務めた。
  • 注5)ドイツ出身の画家。20世紀最大の諷刺画家といわれる。
  • 注6)ライプツィヒ生まれ。社会的、哲学的なメッセージをアレゴリカルに描いた。1930年にナチスに追われてアムステルダムに移住。最後の3年間はニューヨークで仕事をした。
  • 注7)20世紀前半に活動したフランスの画家。ピカソ、ブラックらとともにキュビスム(立体派)の画家と見なされる

注8)サンテグジュペリ

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ - Wikipedia

帰るところのない旅にでた移民・亡命者達によってアメリカ合州国は築かれた。
理不尽なことに非知性的な一政治家によって「先にやってきたわれわれは、後から来るあなたたちを助けはしない」と叫ばれていても、偉大な先人の貢献、彼らのアートは少しも色あせない。

 

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