NIKON D5200の解説本を探していたら、その棚から本がどさっと転げ落ちた。その中に大修館「New Standard Japanese-English Dictionary」があった。これは私の父「文さん」が使っていたもの。 拾い上げると中からひらりと紙片が舞い落ちた。
*
「文さん」は1985年に79才で亡くなった。メモの一枚には1975年の書き込みがあった。文さんは警察で通訳をしていた。資料を通訳するときのために当時の「ニュースの人」各人の英語読みを控えていたのだ。 文さんは外事課というところに所属し定年後も嘱託として仕事をしていたのだ。当時某有名歌手が国籍取得をする際などの苦労話をちらほら聞かされたものだ。
*
メモは上から「張春橋」「鄧小平」「廖承志」「張香山」「林 簾韞?」「孫 平化」「王暁雲」「江華」「呉桂賢」と読める。
張春橋は1960年代半ばからの文化大革命において大きな権力を握った4人組の一人
鄧小平は、1976年1月に周恩来没後天安門広場で行われ周恩来追悼デモが上記4人組から反革命と批判されその首謀者とされて失脚した。しかし彼はのちに大逆転党中央軍事委員会主席となり最高権力者となった。
廖承志は中日友好協会の設立時から死去まで会長を務めた
張香山は中国の元外交官、対日国交正常化交渉を担当
林 簾韞 は調べるも不明
孫 平化は元中国日本友好協会会長
王暁雲は元卓球選手で中国卓球代表団副団長対日政策の有力ブレーン
呉桂賢は中国初となる女性副総理
新聞のコラムも綴じてあった。
*
金大中事件は1973年8月8日
その2年後の新聞記事から「口上書」についてのコラム 「note verbal」(正確にはnote verbale)は現在でも外交文書として定義があるらしい。
REMEMBER3.11
不断の努力「民主主義を守れ」