紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は元のBlog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

後の祭り

快晴の熱い中買物のついでに市内周遊。丁度後の祭りの山が立てられていた。
まずはカンフォーラで食事

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*連れ合いがフォークをコップに立て演出した。何のために?

橋弁慶山

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「弁慶」と「義経」(画像は合成)
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橋弁慶山には「義経」「弁慶」がこの橋に立つ 謡曲「橋弁慶」を素材に作られたそうだ。

鯉山

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室町時代から続く鯉山は昔、「龍門の滝山」と呼ばれていました。龍門とは中国黄河の上流にあるという激流の難所のことで、鯉がここを登りきると龍になり祀られたという「登龍門」の故事を題材に難関突破・出世開運など、人々の成功と繁栄を願って作られました。山に飾られる木彫の鯉は江戸時代の名工「左 甚五郎」の作と伝えられています。HPより
大勢の人出だった

浄妙山

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浄妙山は、『平家物語』の中の「橋合戦」の様相をあらわした特徴的な山。宇治橋の上で奮戦する浄妙坊(じょうみょうぼう)の頭上を一来法師(いちらいほうし)が飛び越える様子が躍動感あふれる御神体人形で表現いる。
 また、浄妙山を彩る懸装品には、天鵞絨(びろーど)織が用いられた胴懸「琴棋書画図」をはじめ、胴懸「エジプト風景図」のイギリス製のタペストリー(下写真)を懸装品としたものがある。
京都文化博物館HP)
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北観音山

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風にそよぐ提灯を取りたかったが上手く表現できない・・

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北観音山横にある藤井絞の事務所お宅?、中が撮影できた

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*「shibori529」で写真instagramを公開中  
南観音山

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この辺りで暑さが厳しく、引き上げの準備にかかった。
大船鉾

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幕末の騒乱で鉾本体を焼失よりなんと150年目にあたる2014年(平成26年)7月後祭り巡行への復帰となった。
鉾の制作から管理維持費は巨大な金額がかかるとは思っていたが、約1億円とのことと。以下参照

大船鉾復興へのあゆみ・事業のご案内 | 京都・祇園祭「大船鉾」- 公益財団法人 四条町大船鉾保存会

各鉾山保存会では地元負担を基本として近年は有料観覧席からの収入に基づき京都市からも補助金が出るようになったとのこと。祇園祭によって百万人近くの人出が予想されている。この人たちの購買による貢献は買った店だけに反映される結果となる。祭りの意味が問われるのだなあ。

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」