加藤周一に『「やまとこころ」と選挙』という1990年4月の一文青字部分から連想の下巻。
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文運いまだ衰えず。やまとの国のもう一つの特技は、言いかえ技術の翻訳への応用である。英文和訳して、英文は外向けに、和文は内向けに用い、外も内もまるくおさめる、とまでゆかなくても、抵抗感を最小にする。
敗戦(または降伏)を「終戦」とし、占領軍を「進駐軍」と言い慣わして以来、これはほとんど戦後日本の伝統と化した工夫である。たとえば昭和天皇が、訪米のとき、真珠湾攻撃を英文では<deplore>とし和文ではもう少しやわらげた表現にする。
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「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」
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航空管制に関する日米合意書では、日本政府が米軍機を、英文では「優先的に取り扱う」というところで、和文では「便宜を図る」という風にぼかす。最近では英文で<structural impediment>(構造的障害または障壁)に関する日米協議といわれるものが、和文では「障害」を取り除いて、「構造」協議となる。この場合にも協議の内容を英文は明示し、和文はぼかしているのであり、そのことを公然と指摘したのは「テレビ朝日」の「ニュースステーション」であった。
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その意識が市民に都合の悪いと判断される事実を知らしめなかったのである。
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何故このような翻訳二枚舌が習慣となり、今日まで新聞や放送局がそれを指摘せずにきたのだろうか。おそらく国際関係の実情を知らされていない国民が、不満を政府に向けることは少ないだろうからである。しかし、ことだまの力にも限度がある。何らかの理由で、大衆が国際的現実を知り、その影響を直接に感じるとき、不満はかえって爆発的な形であらわれるかもしれない。むかし日露の講和条件に不満な東京市民が暴動をおこしたのは、政府によってあらかじめ大勝利の幻想をふきこまれていたからである。
それにしても、もし宣長が生きていて、松坂の町のまわりの桜がゴルフ場建設のために切り倒されるのを見、二月選挙後の浮き世の移り変わりを眺めたら、どういう一首を詠んだだろうか。しき嶋のやまとこころを人とはば選挙の前と後ろの不思議さ。
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REMEMBER3.11
不断の努力「民主主義を守れ」