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紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は元のBlog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

数を頼む宗教

水曜日と日曜日に近隣で「ナンミョウホウレンゲキョウ南無妙法蓮華経」を繰り返す唱和が聞こえる。
やがてトランス状態になるのであろうかはたまた法悦の境地に達するのであろうか多数で抑揚をつけながら1時間も続くだろうか・・。
 数十年前のことであったが池田大作著「人間革命」という厚手の本がベストセラーの上位に並んだ。どのような人が買うのか書店店頭では見かけなかった。売れるのは一人の人が数冊から数十冊をまとめて買い求めていた。よほど好きでほれ込んで周囲の人に回すのだろうくらいに考えていた。ところがこの本を元に読書会をするのだそうだ。たしか二か月に一冊刊行されていたから、よむ方も大変である。多くは中年から初老の人それも女性という印象を強くもった。
40年経過したが近隣に集まる人も同じような年齢構成である。このような層を引き付けてやまないのであろう。

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創価学会日蓮世界宗創価学会)員は総数800万人
ちなみにわが家系は浄土宗(総本山知恩院)で信徒600万人。浄土宗信徒より発言気力は高いので余計に目立つのだろう。探しているとこんなBlog下記があった。
日蓮の思想と行動は、仏教の教義という面では伝統的天台教学を踏襲するもので、ただその「法華経」への情熱的傾倒と、反権力への闘争心という点で、後世に影響を与えた。日蓮宗は現世利益とカリスマ的アジテーションを武器とすることで教勢を伸ばしたが、やがて大衆的であるが故に世俗化の道をたどった。

公明党の背信について考えた・・。 - gooブログはじめました!

その信心を勧める強さは体験からいうと「ものみの塔聖書冊子協会」と双璧で、人々の熱い(厚かましいともいえる)信仰は間違えば狂気ような結果を生む。唱和する人の心境は以下のようなところだろうか。

「題目を唱えると元気が出て、どんな困難にあっても、前に前に進んで行くのだ。負けてたまるかという気持ち、歓喜の気持ちになります。その気持ちは、一人ひとりが感じるものなのです」

唱和を唱える、または念仏を唱えることで奇跡が起こる、死が遠ざかる、病が治る、この短絡が多くの宗教を成立させているのかもしれない。しかしどう考えても一心不乱に題目を唱えることで困難が和らぐということはない、自らの気持ちの持ちようの観点から困難の色合いを変えてみせるだけだ。
宗教は本来は心の安寧を求めるものであろう。たとえ相手が困難であってもそれと戦う意識を高揚させるのは少し違う。
創価学会員はきっとこのように思ったのであろう、「私たちがこのように困難に立ち向かい前に前にという意識の高揚があるのだから世の人たちにもぜひ伝授しよう、だから信仰を広めるために徒党を組んで政治権力を持とう」
公明党はそのようにして生まれた。これだけの数を頼りに政治を動かそうというのである。だからその成り立ちからしてまとまる。立候補者全員が当選という一種奇妙なことも起こる。現在は代議士数にして数十人であるから総務相国土交通省が担当となっているが仮に100人程度になれば何大臣を受けるつもりなのか。建前の政教分離はともかく国家が宗教団体に政治上の権力を行使させては憲法違反である。

一心不乱に唱和をしながら、一方で
こども手当の支給はわれわれの成果です
わが国を取り巻く国際環境が厳しさを増す中、紛争を未然に防ぐ「抑止力」を高めるための法整備を評価している6月24日公明新聞 保存してください – 師弟不二ARCHIVE


彼らは「偉大なる指導者」の意に反してまで何を求め政治の場に立つのであろうか。

また心理学の分野でこのような記事にもであった。

集団の狂気 『集団浅慮』 http://nanahime.blog71.fc2.com/tb.php/102-4029882d

 『狂気は個人のうちではまれであるが、集団ではありふれている』ということばがあります。「3人寄れば、なんとかの知恵」とことわざにあるように、ひとりの脳には限界があり、脳には別の脳の力が必要ですが、一方で個人ではとうてい考えられない狂気じみた判断を下してしまうのも、集団の力です。これは、『集団浅慮』と呼ばれています。集団の凝集性が高いときに起きてきます。
 その集団内の個々人が同じ見解を持ち、外部の異なった意見を受け入れないとき、
あるいは外部から隔離されているとき、問題を多方向から検討するゆとりが無いとき、圧倒的なリーダーへの同調が起きているとき、自集団の価値観が優位性や正当性を強めていきます。集団浅慮の特徴は、自分たちは決して間違っていないという幻想を持ち、選ばれた手段や行動は、正当性があり倫理的にも正しいという信念を持つなどの、過大評価が起きていることです。
自集団の正しさを合理化すれば、必然的に外部は間違っている事になり、対立姿勢を固めることになります。そして、一丸となっているかのような幻想を強化するために、内部の反対意見に圧力をかけ、暴走への拍車をかけていきます。  こうして、集団はその内部に抑止力を失ったとき、暴走し始めるのです。人間社会の混乱と動揺の本質は、独善と熱狂と神聖化といえます。

 

 

REMEMBER3.11

不断の努力「民主主義を守れ」