紙つぶて 細く永く

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携帯電話のない世界

昨日携帯電話が壊れた。充電をして起動をすると、シャットダウンと再起動を繰り返す。販売店の見立てでは修理費用はざっと2万円程度かかるとのこと。しかしこれも研修中という名札をかけた販売員が即答で答えた内容だから、確かなものではないとおもわれる。キャリヤというものはなにがなんでも修理よりも新機種購入を勧めるマニュアル化をしているらしい。
このところ2年契約の縛りが話題になったが、逆にいうと2年程度で機種交換を進めるという商法ではないだろうか。今回販売店にいって驚いた。高級なスマホタブレットがずらりと並んでいる。10万円ちかいものもあった。デスクトップパソコンなら手が届く価格だ。飽くなきケータイ好みの国民性?に合わせて短期間のモデルチェンジと高価格化。
タブレットでも音声電話が可能なものもあり、携帯時の便利性には欠けるがこちらのほうに将来の発展があるのではと感じる。また本体価格と分割購入後の価格でみるとスマートフォンタブレットで逆転している機種があった。まさに政策的にタブレットへ誘導する特典が強くでている。

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20年以上携帯電話を使ってきたが近年のその変貌にはどこかなじめないところがある。いわば使いにくいPCとしての道をひたすら進んでいるのではないか。あんなに入力し辛いキーボードであのような高機能のソフトが使いこなせると思うのは開発技術者のかたよった判断だと感ずる。その点ではappleジョブスの思想は違った。未完成とはいえ音声入力ソフト「SIRI」に注力した。つまり「携帯電話」としてではなく「スマートフォン」としての機能を生かすにはかなりのインターフェース技術の開発が伴わなければならないし、またユーザーとしても高度なその技術を使えなければ宝の持ち腐れとなるだけだ。

音声電話、メール連絡、Web検索、道先案内この程度の機能が必要なら旧来の携帯電話いわゆるガラケーで十分だ。ガラケーにする踏ん切りがつくまでしばらく携帯電話なしで過ごそう。

と昨日は考えたが、そのあと夢を見た。ノートPCかタブレットで外出先で必要時にメールチェックをすれば音声通話さえ我慢すれば携帯電話ガラケーすらもいらないとお告げがあった。

 

 

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