紙つぶて 細く永く

右の「読者になる」ボタンをクリックし読者なっていただくと記事更新時にお知らせが届きます。

}

狂言500年と憲法50年 1997年

加藤周一夕陽妄語Ⅳ「狂言憲法」から)
私はまた憲法にも興味をもつ。そもそも私が茂山千之丞さんと狂言の話をする機
会を得たのは、憲法記念日の集まりに招かれたからであり、憲法に触れなくては義
理がわるい。とにかく五百年ほどまえに成りたった芝居と、五十年ばかりまえに作
られた憲法との間に、いかなる関係があり得るか、ということも私は考えた。
 日本国憲法の強調する大きな原則には、見方にもよるが、およそ三つがある。第
一に平和主義、第二に基本的人権の擁護、したがって個人の自由の尊重、第三に主
権在民と平等主義である。
 しかし一般に文化的な創造力は、必ずしも「平和」を前提としない。現に能・狂
言を生みだした日本の一五世紀は内乱の時代であった(応仁の乱)。同じ一五世紀に
「文芸復興」の開花したフィレンツェの社会も政争と戦乱の渦中にあった。また「平
和」が必ずしも文化的創造力を約束するとはかぎらない。近くは第二次世界戦争を
例外として、その大部分の時期に戦争を経験しなかったソ連邦の例がある。文芸の
盛衰は戦争か平和かによって左右されない。そうではなくて、憲法の第二原則、基本的人権、殊に良心の自由と言論表現の自由の程度如何によるところが大きいだろう。
政治権力が個人の良心の自由を侵し、言論表現を弾圧することは、平和時にもあり得た。(たとえばジュダーノフ 注)。
戦時中にも統制と弾圧が常にあったのではなく(たとえば一五世紀の日本とイタリアの場合)、時代を降ると共にその傾向が強まったのである。

Blog注)ソビエト連邦の政治家。スターリン体制の一翼を担い、前衛芸術批判(いわゆる「ジダーノフ(=ジュダーノフ)批判」)を行ったことで知られる。

f:id:greengreengrass:20150909075200j:plain

今ではいかなる戦争も武器のみによって戦うことができない。特定の「戦争イデ
オロギー」や「スローガン」によって、国民を説得し、だまし、「洗脳」し、個人の
良心の自由を侵して、「国民精神」を「総動員」しなければならない。たとえば応仁
の乱は能・狂言を生んだが、十五年戦争が何らの独創的芸術も思想も生まなかった
のは、そのためであろう。
 文化的創造力の前提は憲法の保証する「平和」ではなくて、「自由」である。しか
し、今日の世界の具体的な状況のもとでは、「自由」の前提は「平和」である。「平
和」は「自由」の十分条件ではないが、必要条件だということになろう。-とい
うところまでが、狂言にかぎらず一般に文化文芸と憲法との関係の話である。
 しかし殊に狂言について、その固有の性質と、憲法が主張する原則との間に、何
らかの関係が考えられるだろうか。考えられるだろう、と私は思う。それは主権在
民ということ、社会的役割の上下関係と人間としての平等関係とを峻別し、かつ調 。
和させようとする態度に係る。狂言は主人と従者の力関係を一時的に逆転させるこ
とで、役割の上下を離れれば、両者の間に能力の優劣はない、ということを曝露す
る。その曝露は狂言の笑いの源であり、その笑いは一種の平等主義を含意する。狂
言とは日本の民衆の一面、権威を妄信せず、権力に抵抗し、向世紀にもわたって休
むことのなかった批判精神の、鮮やか童証言に他ならない。憲法平等主義は、そ
の精神の徹底した表現である。
 たとえば男女同権は、平安朝の女房たちや徳川時代武家の妻たちではなく、ま
さに狂言の舞台の上で夫をやりこめていた女たちの予感の実現である、といえるだ
ろう。憲法は「押しつけられた」のではなく、狂言の伝統が作ったのである。
 「天皇を中心とする神の国」は明治以来誇張された政治的言説にすぎない。

 

REMEMBER3.11