紙つぶて 細く永く

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教養その2

過日バスに乗っていると途中から観光客らしき二人ずれが運転手と話をしていた、すぐ横に座っていたので様子を聞いていた。
観光客「一日乗車券ありますか?」
運転手「売り切れです」(きっぱりと)
観光客二人「・・・」
運転手 無言
観光客財布の中を探り、それぞれ230円を出し料金器へ入れる。
運転手 それでも無言
そのままバスが発車した。
あまりの扱いに心が痛んだ。なぜこの人は「申し訳ありません、売り切れました」そして「ありがとうございます」と伝えられないのだろう。


今夏は「角館散策」を期待していたのだが、故あって東京で滞在になってしまった。高円寺から所用でに御茶ノ水周辺を訪れた。順天堂大学前に長蛇の列、後で調べた結果順天堂大学オープンキャンパスが開催されていたその人出らしい。それにしても長蛇の列だった。所用を済ませニコライ堂へ。ニコライ堂を見学しながら考えていた。8月15日午後。今日は日本が70年前に敗戦した日。

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以下加藤周一「少数意見の共存を」から

意見がちがったとき、どうするのか、まず多数決で決めます。三人で意見がちがうときには一人の意見よりも二人の意見に従う。二人とちがった意見の一人が残っていて、その人の意見が次には多数になることがあり得る。すなわち三人の集団は、方向転換の可能性を内包します。ちがった意見の共存することが大事なのは、共存しないと方向転換が困難になるからです。
米国社会の方が、日本にくらべればはるかに少数意見を尊重していると思います。たとえば1971年春にピンポン外交があって、キッシンジャー米大統領補佐官が中国へ行って米中接近が起こる。それまで米国は中国の封じ込め政策で一貫していました。しかし、米国の知識層のなかには少数意見が生きていた。みんなが一定の枠の政策に賛成していたのではなく、ある有力な知識層なかにも批判者がいました。そういうことを踏まえながらキッシンジャーは出てきたのです。キッシンジャーが天から降って湧いたわけではない。
米中接近に日本はおどろいた。日本は米国政府と、したがってまた多数意見とだけ接触しているから、突如として変わることはまことに不思議だと思うけれども、米国の方はそうでもない。少数意見が多数化したということです。
ヨーロッパの社会もそんなに理想的ではないので、警察が怖いから従うという面も大いにあります。しかし極端に例外的な場合をジュネーブで体験したことがあります。
このバスが動いているのは儲かるからではない。乗る人が(運賃を)払うからバスが動いている。もしあなたが払わなければバスの回数が減る。もっと払わなければ止まる。それは不便でしょう。バスを動かす唯一の手段はおカネを払うことだ、だから払ってください。
戦後日本社会では高等教育が普及した。日本では就職の機会均等、男女平等などよりも、教育の男女平等の方が先行した。高等教育が女性に開放されて、大学のなかではそんなに差別を感じない人が多くなった。しかし、就職の極端な差別があるから女性は家庭にいることが多い。その人たちは独立心が男性より強く、少なくとも話をしたときに、自由に反応することが多いようです。ところが男性は、会社に完全に組みこまれているから、同じ会社でない人とそもそも話をする機会さえ少ないでしょう。
(略)

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教養というものは自然に培われるものでもある。目の前で起きている小さな事象に疑問をもつ。そしてそれを改善しようと働きかける。それと同じ目線で世の中のことを判断する。例えば「戦争法案は憲法違反」と判断する。それに異議を唱える、かつそして投票という時期にその実践をする。このような場面が教養の発揮されるところ、そして自身としての教養を各自培って行く。それが「教養」である。文科省はいわばこのような是は是、非は非と判断できる教養ある人材の育成を嫌って、過去に主に教養を提供してきた人文系学部に対する政策見直しを提案していると勘繰るのはあながち間違いではなさそうだ。

 

REMEMBER3.11