紙つぶて 細く永く

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見識について教えられること

仕事を引き継ぐことになった。1年以上長く取り組んだ仕事も多い。対象が限られたエリアで長く深く話をした人も多い。全くの一から作った人間関係をこの短期間に引き継ぐという弊害ももちろんあるのだが・・引き継ぐ職員は兼務という。
ご他聞にもれずこの組織も非正規雇用の塊みたいになっている。実際の実務面は十年以上勤めているいわゆるパートと呼ばれる人が担当している。異動してきた職員はその年数と仕事の知識とさらにおまけにその堂々とした話しっぷりに多くは黙してしまう。そして仕事は改革もなくマンネリに固まった旧来の方式で粛々と進む。その先に見えるものを恐れる。

見識とは、私より優れた判断ができる人に対してもつ憧れのようなものなのか。
政治学の泰斗がポツダム宣言を読み解説した。そして「ポツダム宣言は事実上アメリカが作成したものであり、(略)ポツダム宣言の受諾によって戦後日本は、この歴史観を受け入れ、戦前の日本を道義的に誤ったファシズム国家とみなしたのである。(その論理でいけば)われわれは、今日のイラク戦争にも、対テロ戦争にも反対する根拠はなくなる」という。
この意見は私には、かっての日本軍国主義を賞賛するなら、アメリカの全世界民主主義化政策に反対できるが、ポツダム宣言を受け入れ日本軍国主義に批判的であるならアメリカの政策には反対できない、としか読めない。
このような見識がありえるのだろうか? 戦前の日本軍国主義に反対し、かつアメリカの誤った政策(その代表がベトナム戦争であるが)に反対する多くの市民は見識がない?そんなばかな話はない。

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『1980年9月9日に、ダニエル・ベリガン師を中心とする八人のアメリカ人男女が、核軍拡競争に反対し、ジェネラル・エレクトリック社の核兵器工場に侵入し核弾頭の先端円錐部2個を槌で損傷するという事件がおこった。最近行われたその裁判で裁判官は被告の損傷したものを「核弾頭円錐nuclear warhead cones」と呼ぶことを禁じ、その代わりに「装備material」とか「金物hardware」とか「先端円錐nosecones」とかという言葉で呼ぶべきだと主張したそうである。(ニュー・ヨーク・タイムズ Robert Jay Lifton,The New York Times,28 March 1981)裁判官は被告たちに向かって、「ここで裁かれているのは核戦争ではなくて、あなた方の方だ」といった。
「たしかに被告たちは、裁判所で核戦争を裁くことには成功しなかったかもしれない」とリフトン氏は書いている、「しかし、近いうちに別のところで核戦争が裁かれるべきだ、とわれわれに告げることには成功した」と。けだし言語学的水準において、市民にできることの一つは、猫を猫と呼び、侵略を侵略と呼び、軍隊を軍隊と呼び、核弾頭を核弾頭と呼ぶことであろう』加藤周一軍国主義反対再び」より



 

REMEMBER3.11