紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

喧騒の中で

猛暑の日に孫を連れて神戸のumieに出かけた。夏休みで子供たちが一杯。親もなぜか目の色をかえてという形相だった。アンパンマンのショウが行われていた。ショーの演者も目一杯に昂ぶっていることを見せようと頭の上から声が出ている。そして目一杯あげた音量。かかってきた携帯電話の声も聞こえない。
 マクドナルドのドライブスルーで昼食を買うために並んだ。車列の先が二つに分れ2か所で注文を聞くようだ。しかし待たせること1台の車に2-3分かけている。注文をする車は等しく同じような時間やり取りをしている。あまり待たせるから悪いと思ったのか店員がメニューを届けに来た。店員「これをご覧になって注文品をお決めください」とまた頭の上から出すような声。私「もう決まっているけど」と告げると「そうですか」とすぐにメニューを引き上げ去っていった。
しかしあまりに待たせるので昼食は別メニューと考えマクドナルドは「スルー」した。
 ショッピングモールで買物。拙宅では食材を週に一度まとめて買い求める。その買物である。この暑さで避暑をとも考え訪れる人が多いのだろう、大きな駐車空間に車の列が呑み込まれてゆく。辛うじて止めた駐車場はほぼ満車。やっと昼食にありつけそうだ。各店舗の前には椅子が並べられ人が並んでいる。混雑と価格も見比べフードコートの方に回った。フードコートは大変広い空間であったがこちらも満席。空きそうな席を見渡して探す。食べ終えたと思える一組の横で待つ。男は食べ終えた後携帯電話の液晶を眺め一心に操作をしている。娘は二人、空いたどんぶりを前にとめどない会話をしている。天井も高く巨大な空間では話し声やカートのきしみ音、どこからか流れ来る投げやりなBGMが交差する。喧騒と熱気が渦巻きその騒音に一瞬倒れそうになる。

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いつの頃からか、日本人は騒音に麻痺するようになった。茶道等のいにしえの環境をと云うのではないが、寺社の静寂、川の流れ、水琴窟の響き、夏の昼下がり物売りの声、がたん、ごとん、とはしる鉄道のレール音さえ情緒があった。喧騒という言葉で表現されるのは蝉の声位のものではなかったか。
その様な考えに立つと、とくに不特定の人間が入る可能性のある店舗やショッピングモールは今のようなBGMは要らないのではないか。そのようなBGMは私のような人間には反感を買うだけだ。それだけならまだしも間違いなく少数の若者以外すなわち少子化に伴い人口の多数を占めてゆく若者以外に何も訴えかけてはいない。投資的に考えてもこれは効率の悪い所業ではないか。
 環境を読む。云いかえるなら他人といえども気を利かせることが我々の特性であった。大勢の待ち客がいる場所ではその場所以外でも行えることは場所を変えて行う。後ろに多く並んでいる列では少しでも時間をかけずに事を終える。その程度の配慮は常識であろう。



 

REMEMBER3.11