紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

空海 1章

過日四国遍路を巡った時に深く考えないで「南無大師遍照金剛」と何回も唱えた。しかしなぜ「南無大師遍照金剛」で意味は?という疑問がなくはなかった。また終えた時に、1200年の彼方まで遍路行脚としてこんなにも慕う人がいる影響力はなぜだというのが湧いた疑問であった。そんな疑問を抱きながら司馬遼太郎空海の風景」に出会ってしまった。
司馬遼太郎「街道を行く」シリーズを読み進むうちに、ふと「空海の風景」が目に止まった。資料を駆使した緻密な構成、(空海最澄という)人物間の描き方からサスペンスのように一気読みできた。そして「空海」についての大黒柱は「空海の風景」である。
弘法大師空海。幼名を佐伯真魚という。しかし「佐伯真魚」で検索するとピアニストがヒットした。だがここは空海のことである。遍照金剛は空海密教の師である恵果から与えられた号である。遍照金剛とは大日如来の密号でもあり、金剛は永遠不壊であること、遍照はあまねく照らすことを指す。「南無大師遍照金剛」は永遠に帰依する大師という意味になる。

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空海を知る人はみな、その思想性と恵まれた才能から日本歴史上最大の巨人とする。
空海略年譜
西暦774年(0歳) 讃岐国多度郡に生まれる(今の香川県善通寺市
          (「その頃世界では自然界にはほとんど存在しないという「放
          射性炭素14」の濃度が、その1年に限って過去3,000年間で最大
          級の急激な上昇をしていた」という記述がwebで見つかった)
781年(8歳)  桓武天皇即位
784年(11歳) 長岡京遷都
788年(16歳) 阿刀大足に師事
791年(18歳) 長岡京へ上京 大学に入学(教育機関として地方に国学中央に大学があった)
793年(20歳) 
土州室戸岬(現在の御蔵洞)に勤念。明星来影す。
794年(21歳) 平安京遷都
797年(24歳) 聾瞽指帰(ろうこしいき)を著す(以下URL国宝となってい
          る)    

http://www.nankaikoya.jp/event/koyasan1200/event/syosai02.html
804年(30歳) 遣唐使船で入唐
805年(31歳) 恵果に師事し「伝法灌頂」を受ける
806年(32歳) 3月桓武天皇崩御 平城天皇即位
          8月明州出航帰国の途に着く 
          帰国後請来目録を作成し朝廷に献じる          
809年(35歳) 高雄山寺(神護寺)に入住
          嵯峨天皇即位
812年(38歳) 高雄山寺で最澄などに結縁灌頂を授ける
816年(42歳) 高野山を賜る
821年(47歳) 讃岐国満濃池の修築にあたる
823年(49歳) 東寺を賜る 淳和天皇即位
828年(54歳) 綜芸種智院を創設する
830年(56歳) 十住心論を著す
835年(61歳) 高野山にて入定
921年      弘法大師諡号を賜る

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空海の風景によると、讃岐多度(香川県善通寺市生誕の地といわれるところに善通寺がある)に生まれ、父は「佐伯直田公」 佐伯一族は敵毛を征し武功によって讃岐に土地を貰ったとある。佐伯氏には2種類あるそうだ。中央の佐伯氏は当時の日本の国家伝承である記紀の世界に登場するところの武門大伴氏に相違なく、一方讃岐の佐伯氏にはそういう典拠はなく「征し」どころか毛人そのものであるかもしれないらしい。(毛人は単純にアイヌと考えられる) 出自はともかく、空海の才能はすごい。U先生の説によれば空海西田幾多郎以上の日本最大の思想家であった。

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