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「異論」の疑問

保守の論客がコラムを書いた。佐伯啓思「異論のススメ」

「そもそも問題の発端は「憲法」よりも「防衛」にあった。冷戦以降、「国際環境」は変化しておりアメリカの力は低下し、アジアは不確定要因に包まれている。安倍首相の今回の提案はこの状況への新たな対応を目指すものであった。だから野党がもしもこれに反対し従来の平和憲法のもとで対処できるというならその根拠をしめさなければならないだろう。近代国家のもっとも重要な役割は人々の生活の安全を保障すること、とりわけ外敵から国民の生命や財産を守ることである。
では民主政治のもとではどうなるのか。民主主義では国民が主権者であるから、国民が自らの手で、自らの生命・財産を守る義務がある。これは端的にいえば、国民皆兵ということだ。民主主義とは、市民に大きな権利を与えるが、同時に、厳しい義務も要求するものである」

このコラムにいくつかの疑問がある。そもそも今回の安保関連法案に反対する要因は過去の戦争による加害や被害への反省から育った国民の気運が起因させるものであり、この気運というものはまさしく現憲法の精神と合致する。だから憲法ありきの反論となっているのであり、野党もそれを取り上げて追及をしているのである。つまり、まさしく「憲法」と「(安倍流)防衛」の問題なのである。問題の発端は「憲法」よりも「防衛」にあったとする彼の論点こそ的外れである。

また「野党が対処できる根拠をしめさなければならない」とものべるが、権力者はだれかいう問題を考慮しなければならない。戦後の政治で政権の座についていたのはほぼ自民党であり、現在も自民党である。権力を握るものが国家を運営するのであり、当然時の権力者が重要な役割を担うのである。権力者にこそ正しく「重要な役割」を果たしてもらいたいしその責任もある。

たとえば家庭における安全を考える。家族の安全を脅かす事態にはどう対応すればいいのか。わかりやすく暴力による危険であるならば体力に自信のある男、父親もしくは男の子供が主体的にことにあたる。他はそれを補助する役割を担う。
国家でも同じであろう。一挙に「国民皆兵」という論が出てきたが、いずれの国家であっても屈強な男子が軍事防衛の主体となるのである。その方法はけして一挙に「国民皆兵」とはならない。
また一般市民の家庭に脅威が迫れば組織としての防衛でなく、まず個人として防衛にあたることは当然の結果である。そしてその気概こそが「国民が自らの手で、自らの生命・財産を守る義務」を果たしているのである。

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REMEMBER3.11