紙つぶて 細く永く

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わたしはこれで仕事をやめました

現代の先進国社会に共通の、著しい傾向の一つは、非人格的組織(公的および私的な)を通じて個人の社会への「組み込み」がすすんできたということである。
非人格的な組織というのは、その成員が、人格の全体をそこに投じるのではなく、明らかに限定されその役割においてのみ、そこに参加するような組織(「管轄がちがから別の窓口にいってくれ」)という意味である。
そういう組織の行う決定は、内部に拡散していて、特定個人の人格に集中していない(「のれんに腕押し」「だれの責任だかわからない」)中央および地方の行政官庁はその典型的な例である。
また大企業や労働組合、学校や政党も今では多かれ少なかれそういう性質を備えている。そういう組織のなかで個人は、自分自身を大きな組織の歯車の一つとして感じる。一個の歯車にあたえられた役割は、極度に専門化され、技術化されていて、当人の感情生活とは係わりがない。すなわち仕事場における人間の、または労働の、脱感情化がおこるのである。
組織内の個人にとって、別の個人との接触に、第一義的に必要なのは、相手の役割を知ることで、相手の感情を忖度することではない。
加藤周一「稱心獨語」
(相手の役割に応じての対応、すなわち「偉い人」には偉い人に対する反応、他方相手の困窮度に応じて対処するというように適応することはない)

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REMEMBER3.11