紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は元のBlog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

加藤周一「戦争と平和 上」 より 

OCNブログ人終了に伴って移動してきました/元ブログhttp://greengrass.blog.ocn.ne.jp/

「内乱と呼ばない米側の虚構」
ベトナム戦争の源は、1954年ジュネーブ協定成立の後、米国がサイゴンにディエム政権をつくって、軍事顧問団を送ったときにさかのぼる。そのディエム政権はジュネーブ協定を破り、南北境界線を封鎖して、予定された統一選挙を拒否し、政治的弾圧を強化した。南ベトナムの大衆は反抗し、その反抗と弾圧の相互作用が、1960年(民族解放戦線の結成)前後から、あきらかな内乱となったのである。
米国政府はその内乱を内乱と呼ばず「北側からの侵略」と呼び、軍事介入を強めた。
1965年からは北爆をはじめ、大軍50万人を投入し、ラオスを爆撃し、カンボジアに侵入し、(略)北側の港湾を機雷封鎖したことは人の知る通りである。
 もし米国政府がはじめから内乱と称んでいたら、戦争の口実はなかったろう。しかし、米国では政府のみならず、言論機関の圧倒的多数までも、決してこの内乱を内乱とは称ばなかった。遂にたとえば「ニューズウィーク」(72.11.13)が、「ほとんど20年前に始まったベトナムの内乱」について語りだしたのは、最近停戦交渉が進み始めてからである。古語に曰く、おそかりし由良之助。(略)

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「宣戦布告なきアジア侵略戦」
この戦争の特徴は次のように要約できると私は考える。
第一、ベトナム戦争阿片戦争の変種である。
白人帝国主義(後には日本帝国主義が加わる)の圧倒的な軍事力によるアジア侵略。その意味では、ベトナム戦争もまた阿片戦争以来の歴史に属する。しかも「アジアの一国」である日本政府は、この戦争のいかなる局面におおいても、ただ一言の反対も表明しなかった。
もしアジア侵略史ここで終わるとすれば、それは日本政府の故にではなく、(そのような [ブログ主])日本政府に拘らず、かくも長い間、かくも多くの犠牲を忍んで、史上最大の軍事力に抵抗しつづけた偉大なベトナム人民の意志によるのである。
第二、ベトナム戦争は宣戦布告なき戦争である。
米国政府は、ベトナムでははじめから大規模な戦争を計画していたのではなかった。そのアジア政策の出発点における誤り(またはごまかし)のために、みずから望まずして、泥沼に引き込まれていったのである。その状あたかも50年代におけるフランス、30年代における日本に似ていた。その過程で、行政府、ことに軍部に秘密裏の行動が多かった、という点でも、日仏の先例を思わせる。当然、当事国内部の民主主義は著しく損なわれた。(たとえばトンキン湾事件以後の、同事件に対する米国上院外交委員会の反応をみよ)
 また、宣戦布告なき戦争は、米国にとって、総力戦ではなく、いわば左手の戦争であった。合衆国はその巨大な経済力と軍事力の限られた一部分を、ベトナムに用ていたので、いわゆる「エスカレーション」の悪循環も可能になったのである。

イデオロギーと人民の戦争」
第三、ベトナム戦争イデオロギー戦争である。
50年代のフランスがアルジェリアに、30年代の日本が中国大陸にもっていたような具体的な経済的利益を、50・60年代の米国はベトナムにもっていなかった。その代わりにあったのが、「冷戦」イデオロギーである。たしかに米国は東南アジアに経済的利益をもとめたのではない。そうではなくて民主主義的な「自由のために」、軍事独裁政権を擁護し、ベトナム人の「自由のために」百万人以上の非戦闘員を殺したのである。
 具体的な経済的利益には限度があるから、そのための犠牲にも限度がなければならない。「自由」の価値は無限大でるから、そのための犠牲には限度がない。イデオロギー戦争が「ジェノサイド」へ向かわざるをえないのはそのためである。(より小規模には、欧州10世紀の宗教戦争がみな殺しを正当化した論理も同じ)しかもそれだけではない。
第4、ベトナム戦争は人民戦争である。
人民戦争は、侵略者側からみて、一般の人民と敵とを区別することのできないいくさである。ゲリラは名乗りを上げない。したがって残された解決法は二つしかないということになる。戦争をやめるか、無差別に人民を殺すか。ソンミの虐殺は、偶発事件ではなく、人民戦争の必然であった。同じ理由によって、アルジェリアのフランス軍による拷問、中国の日本軍による婦女子殺害もまた、軍の必然であった。

核の傘の下で戦争技術開発」
第五、ベトナム戦争は「エレクトロニック」戦争でる。
米国はベトナム戦争で手持ちの最新式武器を用いたばかりでなく、1966-67年以来、年間7-8億ドルを投じて、ベトナム用の新兵器を開発したといわれる。枯れ葉剤(200万ヘクタールの森)、巨大ブルドーザー(村落の破壊)、高空で爆発する6800キログラム爆弾(50ヘクタール内の人畜殺傷)、対人用爆弾(多くの子爆弾に分かれ、子爆弾から高速の金属破片などが無数にとび出す)、レーザー爆弾、テレビ・カメラ誘導爆弾、各種の人間・機材の発見器(汗のアンモニウア、磁気、震動、音響、温度変化などによる)・・・このような人間の発見器の送る情報を計算機があつめて、爆撃機に命令すると、数分後に攻撃が加えられる、というのが「エレクトロニック」戦争の機構であるらしい。
汗のアンモニアや、足音や、体温によって、「ゲリラ」と農民を区別できないことはいうまでもなかろう。「エレクトリック戦争」は、米国からみれば無人戦争、ベトナム側からみればみな殺し戦争である。
第六、ベトナム戦争は「核の傘」戦争である。
米国はベトナムでは、核兵器を用いなかった、しかし、その他のあらゆる武器を用いて、傍若無人に振る舞い、中国の義勇軍にも出会わず、大量のソ連式最新式ミサイルにも出会わなかったのは、米軍の上に「核の傘」があったからである。もし核兵器が中・ソにあって、米国になかったら、これほど大規模な戦争は不可能であったろう。
わが日本政府が、常に「理解」し、「やむをえない処置」とみとめてきたのは、まさに、このような戦争であった。日本国民の一人として私はそのことを痛恨なしに考えることができないのである。