紙つぶて 細く永く

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敗者賛歌の中で

最近の大学入学式にはスーツを着る学生が大半のようだ。それも黒一色である。
「ユニフォーム」化したスーツを着ることで大人社会に認められ、一員となることを望んでいるのかもしれない。
しかしそれぞれこれから所属し研究の道を歩もうとする「大学」には、ユニフォームを着た研究者はだれもいない。
彼らは大学生とはこのようなものだろうという幻想にとらわれているに過ぎない。

立派な「文章」かもしれないが画像の編集は駄目だ。致命傷。(話題の割烹着のOさんに捧ぐ)

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敗者に優しいジャーナリズム
昔、素晴らしく足の速い少年がいた。友達のなかでも圧倒的に速く走る。年長の者もかなわない。
期待された。小学校では予想にはずれたことなく常に一等だった。
中学校に進み陸上部に入った。朝一人での練習から午後教師の指導による練習まで頑張った。
やがて陸上競技の強い高校に誘われそこでも腕を、いや足を磨いた。
注目されるようになった彼は、それでも驕ることなく勉学と練習に取り組んだ。
才能は開花し、インターハイでも勝利者となった。
そうしているうちにやがてオリンピック出場という期待がかれの背中にのしかかった。練習はより厳しく過酷にさえなった。それにも耐えた。
逞しくなった彼は練習の結果ついにオリンピック出場の選手になった。
競技に出た。しかし世界にはより速い走者がいた。負けた。
前例にしたがって「なんだ世界にでると実力を発揮できない」と手厳しく揶揄された。
しかしそんな論調に反し、日ごろの練習の厳しさや勉学にも真面目に取り組むその姿勢、そしてオリンピックの競技後に勝者を素直に称えたその姿勢をよく見ていたジャーナリストが記事で取り上げた。それから賞賛の嵐が巻き起こった。
彼は笑顔でそれに答えた。でも、厳しかった練習を振り返りそれでも及ばなかったことに涙がでた。こころの中のその落胆と、世間からの賞賛の嵐との落差に戸惑った。
褒めるなら勝者をとつぶやいた。ちっとも嬉しくなかった。

やがてかれは生まれ故郷の地元に帰った。幼いころからの友人からから肩を叩きながら讃えられた。うれしかった。やっと報われたきがした。(期待されたが回転できなかったAさんに捧ぐ)
敗者への賞賛以上に勝者への敬意を。