紙つぶて 細く永く

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刹那に生きる放送構成作家

作家・百田尚樹さんとの主な一問一答は次の通り。(asahi.comより) 


【私は言論人。主義主張は縛られない】

――NHK経営委員としての立場についてうかがいます。

「NHK経営委員として答えるのは難しい。あくまでも作家・百田尚樹ということで質問してください」

――分かりました。とは言え肩書もお持ちなので。経営委員という立場と個人の思想信条に基づく言動について、どのようにお考えですか。

「経営委員の服務準則には、放送において公正、不偏不党とうたわれています。私は去年の11月に経営委員になってからそれをしっかり順守しているつもりです。ただ、それは私の個人的な主義主張をしばるものではないと思っています。私の本職は放送作家であり作家であり、著述家ですよね。著述をする、主張する、あるいは表現をするのが仕事。それらは多岐にわたっています。国際問題、政治問題、社会問題。経営委員の立場として、そういう一切の発言をするなというのは、言論封殺、職業否定につながりますよね」

――百田さんのなかでNHKの経営委員というのはどんな仕事で、何をするものでしょうか。

「私が経営委員になって何をしたいかは、経営委員会のホームページにも書いてありますが、日本唯一の公共放送として国民のために、公正中立な番組報道を心がける放送局に少しでも尽力したいという気持ちで就任しました」 ――長谷川三千子委員を含め、経営委員のなかでは安倍首相に近いとされています。 「いろんな見方がありますが、私自身はなんとも言えませんね。個人的には安倍さんと対談の席などで何度か会ったことはあります。そのレベルです」

――対談した際、NHKの経営委員になって欲しいと言われたのですか。

「いや、まったく一言も。経営委員についての話は安倍さんとは一言も交わしたことないです」

――長谷川さんも百田さんも個性があるのは当然。ただNHK経営委員として個性を前面に出すのはどうでしょうか。

「私はもともと作家で、ある意味やんちゃな作家で、なんでも主義主張を言う。経営委員になる前からいろんなところで私は発言してきた。雑誌に論文を掲載し、ツイッターでも。そうした行動の延長線なんです」

――経営委員の肩書があるから、ツイッターの一言や選挙の応援演説などの言動が指摘されるのでは。

「じゃ、逆に聞きますけど、例えば私は今回(選挙の応援演説で)南京大虐殺はなかったと言った。私が南京大虐殺があったと言った場合は批判されないんですか? やっぱり批判されるでしょう。ということは、私は経営委員になった瞬間に、国際的なことも社会的なことも政策的なことも一切発言出来ないということになりませんか。例えば原発の問題にしても、即時停止にするのか、そのままずっと続けるのか、あるいは30年くらいでだんだんなくしていくのか。どんな発言をしたとしても、これは経営委員としてどうなのかと言われますよね」

――一切の発言が出来ないわけではなく、NHKの公正さが疑われるような言動はどうかと。

「経営委員は、放送に関しては不偏不党で、個々の番組に対しての編集権もない。経営委員全員が無色透明で、政治信条のない人が集まるのは不可能。いろんな考え、層の違う人が集まって、でも、番組や放送に関しては、不偏不党、公正中立にやっていこうというのがいいのではないか。私はそう思っています。その中にたまたま暴れ者の作家がいたと」

――本業における表現活動と違い、ツイッターでは奔放な発言も目立つ。そういうのを読んで「えっ」と思う人もいます。

「それはしかたないですね。僕のツイッターは半分ギャグみたいなもんで。個人的なまったく無意味なつぶやきもあれば、自分の趣味に偏ったつぶやきもあれば、いまの日本に物申すみたいな発言もある。ぼくの個人的な発言が、すべて僕の作品に連動した発言じゃないといけないのでしょうか」

――NHKの籾井勝人会長の就任会見での発言については。

「それは答えられないです。私が言うべき問題ではない。会長と経営委員の立場だし、このことに関しては経営委員を離れて作家・百田尚樹として言うことは不可能なので」

――経営委員から離れて言うときと言えないときというのは、どこかで線引きがあるのですか?

「ありますね。作家・百田尚樹だったら、NHKの番組にこうだと言える。ところが経営委員としてはとやかく言えない。都合のいいときに作家になって、都合のいいときに経営委員になるのはおかしいと思います」

東京都知事選での言動について】

――都知事選で田母神俊雄氏の応援演説で他の候補を「人間のくず」と発言しました。

「ほめられた言葉ではないですよね。いわゆる言葉の表現においては反省はあります。人をののしったわけですから。それは言い過ぎやなという感じはします」 ――応援演説に立ったこと自体や、そこでの歴史認識の披露についてはいまも問題なかったという認識ですか。 「なんの問題もないでしょう」

【NHKについて】

――これまでのNHKのあり方についてどう評価をされていますか。

「僕はNHKの経営委員としてはきょうは一切語れません。ただ、皆さん、非常に誤解されているんですが、経営委員というのは直接番組を企画するとか、出来上がった番組に対してここはあかんからこうせいああせいとか、番組に対しての編集権は一切ないんです」

――もちろんそうですが、田母神さんの応援演説でも語っていた独自の歴史観や意見を、機会があったら言いたいというのはありますか。

「これは(先月の経営委の)議事録にも載っていますけど、現在の日本が抱えている様々な問題に関して国民を啓蒙(けいもう)していく番組を作ってはどうだろうかと(発言した)。客観的な情報、公正中立な知識でもって番組を。というのは、本当に日本人の多くは竹島のことを知らないですよね。どういう歴史的経緯でこうなっているのか。尖閣もそう。靖国参拝もそうですけど、じゃ靖国神社とは何かと。どういう歴史があって、例えばA級B級(戦犯)って何か。こういう基本的な知識さえ知らない日本人がほとんどなんですよ。ここに思想的なバイアスをかける気は私はない。ただ、それは一体どういうものであるかということを国民に知らせて、情報と知識を伝えて、あとは視聴者の皆さんに判断を任せたら良いと思うんですよ。ただ、基本的な情報がないと判断できない。今、私はそういう状況だと思っています」 「私が経営委員にふさわしいかふさわしくないかは、経営委の議事録を見て欲しい。そこで私が何を発言して、何を考えているか、全部そこに出ています」

――繰り返しになりますが、田母神さんの応援演説のような場で発言するのは自由だと。

「だめだというルールなら問題ですが、朝日新聞が『経営委員の服務準則でも政治活動を制限する記述はない』と書いているじゃないですか。大学教授に『極めて異例』と語らせている」 「これは明らかに形を変えた言論封殺であると私は見ているんですよ。圧力とプレッシャーをかけて出来る限りこいつの発言の意欲をそごうと。ま、そんなの絶対書いてくれませんけどね(笑)」

――誰による言論封殺だと。

朝日新聞毎日新聞東京新聞テレビ朝日、TBS、赤旗

――マスコミだけですか。

「野党もね。民主党共産党もね」

――とは言え、彼らも国民の代表です。

「じゃあ、国会でのやじは、子どもに聞かせられる言葉かと。いや、もちろん私も悪いですよ。ただ私の場合は、街頭で200、300人を前にしゃべってる。放送でしゃべってるわけではないんですよ。私は言葉の重みがまったく違うと思ってるんですけど」

歴史観などについて】

慰安婦の問題にしても僕はずっとツイッターとか雑誌で、強制性がなかった(と書いてきた)。強制性の証拠は朝日新聞が大騒ぎしてから、肯定派と韓国側が必死になっても、国による強制あるいは関与の証拠が出てこないんですよ」

――国による関与の証拠?

「関与というのは微妙ですね。つまり国と軍による強制の証拠は出てこない」

――いわゆる河野談話というものが以前出されています。

「倫理的な問題を私はしゃべってない。あくまで強制性はなかったという意味で言っている」

――長谷川三千子委員が、新右翼の活動家で朝日新聞東京本社で拳銃自殺した野村秋介氏の死を称賛した追悼文については。

「追悼文としては非情にすばらしい追悼文。人の死を悼むことですから。この追悼文は彼のいわゆる、法律的にいうと犯罪行為だが、そのことを称賛した言葉とは思えない」

【安倍首相の靖国参拝について】

――安倍晋三首相が昨年12月に靖国神社に参拝しました。

「これは安倍さんとの共著にも載ってますが、安倍さんと昨年、対談したとき、私は安倍さんが靖国に参拝されるかどうかは質問いたしません、と。ただ、ここで私の気持ちだけ申し上げます、行っていただきたいと思っています、と伝えました」

――首相の参拝についてはどう評価していますか。

「当然、当たり前でしょ。大騒ぎすることじゃない。世界各国がみなしていることですからね」 ――みんなしているというと。 「世界各国の首脳が、その国のために戦って命を落とした人間にいわゆる尊崇の念を表する行為は普通の行為ですから」

憲法観、国家観について】

「私は憲法改正派。戦争を起こしたくないと思って変えるんです。現行の憲法は、戦争は起こってほしくないなあ、他の国もしないで、僕らも何もしない、たとえ攻められても何もしないというのが今の憲法。それを、絶対に侵略戦争はしない、しかし、もし他国に侵略されたら国民と国土を守るために徹底的に戦うと。そういう憲法に変える。考え方の問題じゃない、どちらが戦争抑止力としてリアリティーがあるかということなんです」

――百田さんについて軍国主義という声もあります。

「百田は戦争望んでいる? そんな人間おるか。私は『永遠のゼロ』を書くにあたって、本当にいろいろな本、さまざまな資料を読み、調べました。その中で本当に感じたのは、この世でもっとも大きな悲劇が戦争だということです。20世紀における戦争の悲劇はとてつもないもので、作品を書きながら戦争は絶対に起こしてはいけない、戦争を憎む気持ちが強まった。私は憲法改正も主張するし国防軍のことも話します。でも、それは本当に日本が平和でいられるように、どうすれば平和が保てるのかという思いで考えた結論です。どうしたら日本が恒久的な平和を保てるのだろうかと」 「戦前の日本に似ているのはむしろ周辺国のような気もします。この20、30年で日本を取り巻く国際情勢は大きく、あまりに急速に変化しました。そのときと同じスタンスでいると日本は沈んでしまうと思っているのです。このままだと危機的状況に見舞われる可能性が高い。日本が本当に平和でいられるために、政治家もマスコミも我々文学者も真剣に考えないといけない時期に来ている、と強く思っています」(聞き手・今村優莉、清水大輔



「ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ」が書き言葉から話し言葉への変換について書いている。
インターネットの普及によって(電子的な)書きことばが広まり、文明的に大きな変換時期にかかっている。
もともと話しことばの世界であったものが印刷技術が発明された結果、ことばに大きな変化が起きた。それまでの刹那に聞くということばが書いたものを読む行為になり思索することになった。話しことばにおいては話者も聞き手も感情的になりがちであるが、書きことばは内省的で思索的になる。
話の聞き手は中身を情緒的に受けとめがちで論理的に深く考察することには技術がいる。一方書きことばの読み手は書かれたことばを行きつ戻りつしながらも、自分の時間、リズムで内容を把握いする。
話しことばが話者の時間、リズムに支配されているのに比して書きことばの時間、リズムは読み手にゆだねられる。多くの知性はこのようにして築かれてきた。

パソコンにむかっていると、表示されたテクストを読んでいても、画面の端に表示されるボックスについ目が行ってクリック。メールを書いていてもふと思い浮かんだキーワードを検索しそのまま30分メールに戻らない。「知的労働者は平均すると3分ごとに作業内容を切り替えている」ウィリアムズ・パワーズ

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「それはしかたないですね。僕のツイッターは半分ギャグみたいなもんで。個人的なまったく無意味なつぶやきもあれば、自分の趣味に偏ったつぶやきもあれば、いまの日本に物申すみたいな発言もある。ぼくの個人的な発言が、すべて僕の作品に連動した発言じゃないといけないのでしょうか」

作品自体がギャグみたいな作家だとおもっていたが、一応権威(NHK経営委員)というものをもったのだから少しは知的に物事を考えないと。
彼は書きことばの思索にふける作家という世界よりも、同じ放送界であっても経営委員という実務をはなれた立場でなく、刹那に消える放送を現場で支える放送作家であるほうがいいのではないか。彼は関西で絶大な人気を持つ「探偵ナイトスクープ」という番組の構成作家でいい仕事をしていた。以下も彼の作品 

探偵!ナイトスクープ 「全国アホ・バカ分布考」その1 - 紙つぶて 細く永く

刹那に生きる。
彼には荷が重い。



 

REMEMBER3.11