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個人と概念、文明 2

司馬遼太郎-概念!この激烈な-在日朝鮮人である私の友人と時々散歩する。
この友人は光復(注 1945年)のとき、8、9歳だった。
話題が彼の母国の国語のことになった。
「キタ(平壌)は日本語を一掃しましたよ。日本製の漢語をいっさいつかっていない」
というのだが私は首をかしげた。
朝鮮民主主義人民共和国という(対外的な)国号そのものが「朝鮮」をのぞいて全部日本人が明治維新後につくった西洋語の対訳語なのである。
民主主義も人民も共和国もそうである。
「中国は清末以来、日本が明治維新後訳した西洋語の漢語を無制限に導入したよ。
とくに新中国樹立後はその傾向は圧倒的になった。
わたしが1941、2年に習った中国語ではschoolは学堂だったが、
新中国では日本式に学校とあらためた。
私はphilosophyのことを理学とならったがいまは日本式に哲学になっている。
高分子化学、免疫化学・・。科学用語はぜんぶそうだといっていい。
中国・朝鮮・日本は、漢字をつかい続けてきたということで世界でも特異な文明圏なのである。
アメリカなどは、この三国が漢字民族だということで、意識の底では同じグループだと思っているのではないか」
ともいった。
文明はその運動律として交流がある。
交流なくして文明などは成立しないし、その国の進歩もない。
日本が憎いという感情はわかるが、本来共用されるべき文明まで拒否することはない。


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